奥羽山脈と北上高地の間を南流する北上川流域にあり,北は西岳山麓より南は一関市狐禅寺峡谷にいたる約180kmの細長い縦谷盆地である。第四紀洪積層と河川沿いの沖積層からなり,岩手県内の平野部はほとんどこの盆地に集まっている。盛岡市以南の沖積低地の西側は,一段と高い河岸段丘や扇状地が発達し,奥羽山脈の断層崖に続いている。中でも胆沢(いさわ)扇状地や六原扇状地は有名で,9世紀初めにはこの扇状地や台地の末端に胆沢城や志波(しわ)城が築かれ,沖積地とともに早くから東北開発の拠点となった。また,江戸時代の北上川は船の交通路として利用され,さらに奥州道中もこの盆地を南北に通じていたため,現在の一関,水沢・岩谷堂(奥州市),黒沢尻(北上市),花巻,日詰(紫波(しわ)町),盛岡などのおもな都市群は,街道筋の宿場町や河港集落を母体として発展した。
流域は穀倉地帯を形成しているが,これは古くから鹿妻堰(雫石(しずくいし)川から揚水)や寿庵堰(胆沢川から揚水)などのような用水路の開発によって耕地が拡大されてきたことによる。しかし洪水も多く,1619年(元和5)から最近まで約80回におよぶ洪水が記録され,特にカスリン台風(1947),翌年のアイオン台風による被害は大きかった。このため,上流部にダムを造り洪水を防止する対策がとられ,1953年国土総合開発法に基づいて,北上特定地域総合開発が全国に先がけて取りあげられた。これは〈日本のTVA〉ともいわれたもので,北上盆地の上流部に治水,灌漑,発電を兼ねた石淵,田瀬,湯田,御所,四十四田の五つの多目的ダムが1980年までの間に構築された。この川と平野部を中心とした開発を母体に,盆地を縦走する東北自動車道,東北新幹線(1982年盛岡まで開通)などによって,北上盆地は岩手県の産業,経済,文化の大動脈となっている。
執筆者:川本 忠平
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岩手県西部、奥羽山脈と北上高地の間にある縦谷盆地。両山地間を南流する北上川本流地域で、北は一戸(いちのへ)町の西岳山麓(さんろく)から南は一関(いちのせき)市狐禅寺(こぜんじ)峡谷まで、約180キロメートルに及ぶ。岩手県の平野部はほとんどここに集まっており、平安時代にはこの沖積低地の西側に一段と高い扇状地や台地の末端に胆沢(いさわ)城、志波(しわ)城が築かれ、東北開拓の拠点となった。江戸時代には北上川の舟運があり、また奥州街道が南北に走り、現在の盛岡、花巻、北上、水沢、江刺(えさし)、一関などの都市は、当時の宿場町や河港集落を母体として発展したものである。JR東北本線、東北新幹線、国道4号、東北自動車道が縦走し、産業、文化の大動脈となっている。
[川本忠平]
…さらに東北自動車道が86年青森市まで全通,97年秋田自動車道も全通して,〈中央に遠い北国〉という古くからの課題が,ようやく克服されてきた。
[ダムと米と畜産]
岩手県は,北上川縦谷盆地(北上盆地)とそれをはさむ奥羽山脈,北上高地の3条の巨大な地形によって特色づけられ,東縁は三陸海岸線となっている。南流する北上川は一関市の南,狐禅寺付近で北上高地を横切るとき,宮城県域も含めて約25kmに及ぶ峡谷を形成している。…
※「北上盆地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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