朝日日本歴史人物事典 「黒田斉清」の解説
黒田斉清
生年:寛政7.2.6(1795.3.26)
江戸後期の福岡藩主。蘭癖大名。本名長順,楽善堂と号す。福岡城内に生まれ,父斉隆の死により生年に襲封,のち斉清と改名,致仕(1834)まで藩主として治績をあげた。長崎警衛の責任上ロシア,イギリスへの関心が深く,その海防論『海寇窃策』は幕末になって『海防彙議』に収録された。一面鳥類,草木に詳しく,当時の「物産家相撲番付」では西の大関の地位を占める。『鵝経』『鴨経』『本草啓蒙補遺』などの著者らしく,シーボルトとの問答録『下問雑載』でも,世界各地の動植物について知識を披瀝している。特に興味をよせたのは日本人の起源と世界の人種で,シーボルトとの会見(1828)は「凡ナラザル」彼の「骨相イカン」を見るためでもあったという。世子の長溥も蘭学を好んだ。<参考文献>福井久蔵『諸大名の学術と文芸の研究』
(鳥井裕美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報