龍島院(読み)りゆうとういん

日本歴史地名大系 「龍島院」の解説

龍島院
りゆうとういん

[現在地名]村田町村田 大槻下

村田の市街地北西隅にあり、後方は丘陵地。また村田館跡の北西、乾の方向にもあたる。西湖山と号し曹洞宗本尊釈迦牟尼仏。延徳(一四八九―九二)頃に賢岩真佐による開山と伝え、初めは真言宗であった。「村田郷安永風土記」によれば寺門・客殿は東を向き、本尊の釈迦如来は木像一尺三寸五分、運慶作と伝える。境内には藩祖政宗の七男宗高の墓があり、「封内風土記」によれば寺領三六石余があった。宗高は慶長一八年(一六一三)から村田館主となり、刈田かつた・柴田両郡で三万石を領した。寛永元年(一六二四)刈田岳の大噴火に際し、領民の苦難を除くため自ら山頂に登り祈願して、噴火はおさまったといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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