日本歴史地名大系 「龍王城跡」の解説 龍王城跡りゆうおうじようあと 大分県:宇佐郡安心院町龍王村龍王城跡[現在地名]安心院町龍王 臥牛安心院盆地の南端、深見(ふかみ)川の左岸に位置する龍王山の頂上にある連郭式の山城。同山の標高は三一五・四メートル、比高は二一五メートルもあり、南側は断崖絶壁で天然の要害を形成している。頂上部一帯には郭・石垣などが良好に遺存している。山容が牛の臥した姿に似ていることから別名臥牛山(がぎゆうさん)城ともいう。「大宇佐郡史論」は別名を神楽(かぐら)城とする。正安年中(一二九九―一三〇二)宇佐大宮司安心院公泰が八幡宮に詣で、山上に城を築き神楽城と名付けたという。正平一四年(一三五九)と推定される九月一二日の某感状写(高並文書)に「神楽嶽」がみえ、観応元年(一三五〇)頃菊池武光の軍勢が北朝方の拠点神楽嶽を攻略、この合戦で高並彦八は軍忠を尽している。感状の発給人は宇都宮冬綱と考えられ、当城は宇都宮氏の抱城であった可能性がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by