久米庄(読み)くめのしよう

日本歴史地名大系 「久米庄」の解説

久米庄
くめのしよう

鎌倉時代から戦国時代の庄園。加古川の支流千鳥ちどり(久米川)の中・上流域、現社町久米・下久米・上久米・池之内いけのうちはた山口やまぐち付近に比定される。播州御嶽山清水寺縁起(清水寺蔵)によると、摂津国住吉社の神主長盛が清水寺山を掠め取り、数年来住吉社領としてきたが、源頼朝の時に鎌倉で対決を遂げ、久米庄仏餉米を住吉社に寄進したという。文永二年(一二六五)一一月三日の住吉神領杣山四至并造替諸役差定書(大川瀬住吉神社文書)は、同年の摂津住吉社の造営にあたって摂津から丹波播磨にかけて広がる社領の境域および貢納物を書上げたものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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