加藤 新一(読み)カトウ シンイチ

20世紀日本人名事典 「加藤 新一」の解説

加藤 新一
カトウ シンイチ

大正・昭和期の農民 加藤老事件元被告。



没年
昭和55(1980)年4月29日

経歴
大正4年7月、同県殿居村(現豊田町殿居)で炭焼き作業員が殺された強盗殺人事件の共犯者として一、二審とも無期懲役となったが、昭和52年7月、6回目の再審請求で無罪判決をかち取り、国を相手取って8408万余円の国家賠償請求訴訟中のこと。事件から62年ぶり、86歳で「強殺犯」の汚名を晴らした。再審請求5回、83歳で無実となった「昭和の岩窟王」故吉田石松翁の前例をしのぐ不屈の最長記録でもあった。死後国家賠償請求訴訟は長女・キクヨが引き継いだ。


加藤 新一
カトウ シンイチ

昭和期の平和運動家 地球市民広島連合代表。



没年
昭和57(1982)年2月9日

出身地
広島市

経歴
戦前、米国で日本字新聞記者。16年帰国し、中国新聞文化局次長を経て退社後、再び米国で記者活動をした。この間、広島で被爆したのがきっかけで世界連邦建設運動に参加、ウ・タント元国連事務総長提唱の「地球市民運動」の広島連合代表として平和運動に尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤 新一」の解説

加藤新一(1) かとう-しんいち

1891-1980 大正-昭和時代の農民。
明治24年生まれ。大正4年生地の山口県でおこった炭焼き作業員の強盗殺人事件で無期懲役。模範囚として昭和30年仮出所した。一貫して無実をうったえ,51年6回目の再審請求がみとめられ,52年無罪とされたときは86歳。62年ぶりに冤罪がはらされた。国家賠償をもとめる訴訟中の55年4月29日死去。89歳。
格言など】国家は何をもって,私に償いますか

加藤新一(2) かとう-しんいち

1900-1982 昭和時代後期の平和運動家。
明治33年9月9日生まれ。アメリカにわたって日本字新聞の記者をつとめ,昭和17年帰国。中国新聞編集局次長をへて,24年広島県広報部長。47年広島で地球市民運動をおこし,世界連邦建設をうったえた。移民史研究家としても知られる。昭和57年2月9日死去。81歳。広島県出身。修道中学中退。著作に「アメリカ移民百年史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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