善光寺町宿(読み)ぜんこうじまちしゆく

日本歴史地名大系 「善光寺町宿」の解説

善光寺町宿
ぜんこうじまちしゆく

[現在地名]長野市長野 大門町・東町西町

北国脇往還の南の更級さらしな丹波島たんばじま宿(現長野市青木島)と北の水内みのち稲積いなづみ宿(現長野市稲田)の間に設置された伝馬継立宿。稲積宿へ一里、丹波島へ一里一二町。

慶長一六年(一六一一)九月三日、松代城主松平忠輝老臣から伝馬条目(大古間共有)が出され、伝馬宿に定まった。

<資料は省略されています>

寛永一六年(一六三九)の善光寺市争論の訴状(「善光寺町宿場市場書類本書之写」中沢文書)に、右の条目写を掲げ、「右者北国往還、殊ニ近郷者勿論、他国迄融通交易之場所ニ付、宿場に被成下、市立候儀ニ御座候」とあるように、伝馬宿町の特権として、善光寺町の大門だいもん町・西にし町・ひがし町は市立てが許され、市立てをもって宿役の助成とした。伝馬宿に定まった当初は大門町・西町・東町が平等に一ヵ月を一〇日ずつ務める定めであって、市立ては一の日は東町、六の日は西町、四と九の日は大門町とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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