日本大百科全書(ニッポニカ) 「国際貿易機構」の意味・わかりやすい解説
国際貿易機構
こくさいぼうえききこう
International Trade Organization
略称ITO。国際貿易機構憲章(ITO憲章、ハバナ憲章ともいう)に規定されている国際貿易を推進するための協力機構。保護主義そしてブロック経済の形成などによって世界貿易が縮小し、ひいては第二次世界大戦に至った歴史の反省に基づき、大戦後の1945年11月、アメリカ政府によって「世界貿易および雇用の拡大に関する提案」が発表され、ITO構想が明らかにされた。これを基に、47年4月にジュネーブで開かれた国連貿易雇用会議準備委員会、さらに同年11月から翌48年3月にかけてキューバのハバナで開かれた国連貿易雇用会議で討議され、国際貿易機構憲章が参加53か国によって採択、調印された。全文が9章106条からなる「憲章」の目的は次のようにいえる。実質所得や有効需要を確保し、生産、消費、交換の増大を図り、一方では発展途上国の経済発展を図るための援助や資本の国際移動を奨励し、世界経済の発展に努める。そのため関税その他の貿易障害の低減や通商面での差別待遇の除去を促進し、貿易および経済的発展の機会を増大させる。つまり各国の完全雇用を図ると同時に、自由貿易に基づく均衡のとれた世界経済の拡大を目ざし、そのための協力機構としてITOを設立しようとするものである。
戦後の世界経済再建においては、通貨・金融面では国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD、別名世界銀行)が、貿易面ではITOが、それぞれ国際経済協力の中心的役割を果たす予定であったが、ITOは、その内容があまりに理想的でありすぎたため、提案国であるアメリカを含めた諸国の批准が得られず(リベリアとオーストリアの2国のみ批准)、その創設は実現しなかった。しかし、関税と貿易面に関する条項は、ガット(GATT)に引き継がれて具体化された。その後、関税と貿易の一般協定にすぎなかったガットは、貿易の自由化と拡大に重要な役割を担ってきた。そして、1986年9月に開始され94年4月に締結されたウルグアイ・ラウンドの合意を受けて、95年1月WTO(世界貿易機関)が設立され、ここに国際機関として設立されずに終わったITOは、WTOとして発展的に実現されることとなった。
[秋山憲治]