米国の保養地ブレトンウッズで1944年に開かれた米欧主導の会議で設立が決まった国際金融機関。為替相場の安定などを目的に、金融危機に陥った国への支援を手掛ける。第2次世界大戦後、世界銀行と共に国際金融秩序を築いてきた。米首都ワシントンに本部を置き、加盟国は189。トップの専務理事には昨年10月、ブルガリア出身のゲオルギエワ氏が就いた。(ワシントン共同)
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略称IMF。1944年7月アメリカのブレトン・ウッズで開催された連合国通貨金融会議で創設が決められたことから、国際復興開発銀行(世界銀行)と並んで、ブレトン・ウッズ金融機関とよばれる国際協力機関。経済の復興と開発のための長期資金を供与する国際復興開発銀行に対して、為替(かわせ)相場の安定のために、中短期資金を供与するという役割分担がなされている。国際連合と「連携協定」を締結した国連の専門機関の一つであり、1945年12月の協定発効を経て、1947年3月に当初加盟国29か国で業務を開始した。
本部はワシントンに置かれ、意思決定機関としては、総務会、理事会、構成員は理事と専務理事、職員からなる。2008年5月現在の加盟国数は185か国、クォータ(出資割当額)は総額で3520億ドル。日本は1952年(昭和27)に加盟し、2008年現在アメリカに次いで第2位のクォータ・シェアにある。
[中條誠一]
1929年の大恐慌後の平価切下げ競争、為替管理の強化などの保護貿易的な行動が第二次世界大戦の遠因になったとの認識から、大戦中から連合国側で戦後の国際通貨体制が検討された。具体的には、アメリカのホワイト案(連合国国際安定基金予備草案)とイギリスのケインズ案(国際清算同盟案)であり、次の2点で意見を異にしていた。
前者は加盟国の出資による基金を創設すること(基金原理)、ユニタスという国際通貨単位はつくるが、事実上国際通貨は米ドルとすることを主張した。これに対して、後者は世界の銀行として、清算同盟を創設し(銀行原理)、そこに流通性はないもののバンコールという新しい国際通貨を創出するというものであったが、最終的にはほぼホワイト案に沿って、IMFは設立された。
[中條誠一]
IMFの目的は、(1)為替相場の安定と(2)為替管理の緩和を進めるとともに、(3)短期的な国際収支の不均衡に陥った国に対して、短期外貨資金を融資することによって、通貨、金融面から世界の安定と発展に寄与すること、である。
そのため、主として当初のIMF協定においては、次のような機能が規定されていた。
〔1〕金に裏づけされた固定的な為替相場制度(金為替本位制)
(1)加盟国は、金または米ドル(純金1オンス=35ドル)に対して、自国通貨の平価を設定した。
(2)加盟国は、この平価に対して、為替相場を上下1%以内に抑えることを義務づけられた。
(3)加盟国は平価の変更を自由に行うことはできず、変更のためにはIMFの理事会の承認が必要とされた。理事会の承認は、加盟国が長期にわたり、構造的な「基礎的不均衡」に陥った時のみなされることになっていた。
(4)アメリカは、各国の通貨当局が保有する米ドルに対して、純金1オンス=35ドルの比率で交換に応じることを表明し、米ドルの価値の安定を保証した(ただし、この項目はIMF協定に規定されたものではなく、為替介入義務を負わないアメリカが自主的に表明したものである)。
〔2〕経常取引に関する為替管理の撤廃
多角的決済制度を確立するため為替制限を撤廃し、経常取引に関する通貨の交換性を義務づけている。経常的支払に対する為替制限の撤廃、差別的通貨措置の撤廃、外国保有残高に対する交換性付与が課せられており、この義務を受諾し、履行する国を8条国という。これに対して、過渡的措置として、交換性の制限が認められている国を14条国という。
〔3〕国際収支不均衡国への短期外貨供与
国際流動性不足に陥った加盟国は、自国通貨を払い込んで必要な外貨を引き出す方式(GDR、一般引出権)で、クォータの200%まで、外貨の供与を受けることができた。このうち、クォータの25%にあたる金での拠出分(ゴールド・トランシュ)と75%の自国通貨での拠出分のうち、ほかの加盟国によって引き出された部分(スーパー・ゴールド・トランシュ)は無条件で引き出せるとされていた。残りの100%(クレジット・トランシュ)の引出しは、融資額が割当額の25%を超えるごとにコンディショナリティとよばれる融資条件が厳しくなり、最大限IMF保有の当該国通貨が割当額の200%になるまで、引出しが可能とされていた。
[中條誠一]
上記のIMFの目的、機能のなかで、もっとも早く成果があがったのは、経常取引に関する為替管理の撤廃であった。当初は、もともと為替管理のないアメリカ以外は、深刻な外貨不足に陥っていたため14条国からスタートした。しかし、各国の経済復興が進むにつれ、貿易の自由化、為替管理の緩和も進展し、ヨーロッパの主要国は1958年末に通貨の交換性を回復したうえで、1960年代初めには8条国に移行した。日本も1964年(昭和39)に8条国に移行しており、今日では8条国が加盟国の80%以上に及んでいる。
これに対して、為替相場の安定、短期の外貨供与という目的、機能は、世界経済が変貌するなかで、大きく変質あるいは強化が図られてきた。第二次世界大戦終戦直後のドル不足からドル過剰へと事態が転換し、さらにドル不安から金為替本位制ともいわれたIMF体制は1971年8月のニクソン・ショックによって崩壊。しかし、その後の変動為替相場制下でも国際収支は均衡することなく、1970年代のオイル・ショック、1980年代の累積債務問題の深刻化、1990年代の通貨危機、金融危機の頻発により、国際流動性を供与する「最後の貸し手」としてのIMFの役割が増大してきた。4回にわたるIMF協定の改定を伴いながら、次のような機能の変化、拡充がみられる。
(1)SDR(特別引出権)の創設
1969年に、世界経済、貿易の拡大のなかで生じる国際流動性不足に対処するために、金やドルといった既存の準備資産を補完するために創設された新たな国際準備資産がSDRである。既存の一般引出権のように、出資や自国通貨の払込みによって必要な外貨の融資を受けるのではなく、加盟国の合意によって創出され、配分されたSDRを対価として、外貨準備が豊富な加盟国から無条件で必要外貨を取得できるもの。
その価値は、当初は1SDR=純金1/35オンス=1米ドルとされたが、変動為替相場制移行後は、標準バスケット方式すなわち主要国通貨の加重平均とすることに変更された。現在は、米ドル、ユーロ、円、英ポンドの4か国通貨の加重平均となっている。
創設当初は、R.トリフィンの国際流動性ジレンマ論を踏まえて、米ドルのような特定国の国民通貨でない新たな国際通貨が創出されたことへの期待は大きかった。しかし、現実にはSDRはIMFや一部の国際機関における計算単位、少数の国でのSDRペッグ制(SDRに固定する外国為替相場制度)採用、ユーロ市場での若干のSDR建て起債などにとどまっており、各国の準備資産に占めるシェアも低く、決済通貨、介入通貨としては現在までまったく使用されていない。国際通貨としての機能は極めて低かったが、最近の世界金融危機により米ドルへの信認が後退するなかで、SDRの機能を高めようという主張が注目されている。
(2)変動為替相場制の追認と事実上の金廃貨
1976年のジャマイカのキングストン会議での合意を受けて、1978年に発効した2回目のIMF協定の改正は、1971年8月のニクソン・ショックによる金・ドル交換停止、1973年2月の主要国の変動為替相場制への移行、1973年末のオイル・ショックとその後の国際収支問題、累積債務問題の深刻化に対処するためであった。改正の一つは、IMF体制を規定する平価の設定や維持に関する義務を削除して、変動為替相場制を追認し、固定為替相場制と変動為替相場制のいずれを採用するかは、加盟国の選択に任せることである。
もう一つは、金の公定価格およびIMFへの金出資を廃止したこと、およびIMF保有金の一部は出資国に返済され、一部は市場で売却され、その収益で開発途上国援助のための特別信託基金をつくるというものであった。こうして、事実上の金の廃貨が進められた。
(3)IMF融資制度の拡充
IMFの融資は、基本的には一般的な国際収支の赤字ファイナンスのために、直接引出しまたは一定の限度額まではいつでも必要な外貨の引出しを認めるというスタンド・バイ取決め(SBA)によるものが基本となっている。融資に際しては、コンディショナリティとよばれる条件が課せられる。
しかし、IMFの融資機能へのニーズがますます増大するなかで、種々の融資制度が創設されてきた。経済の構造に根ざす慢性的な国際収支問題への対処を支援するために、比較的長期の拡大信用供与ファシリティー(EFF)が創設され、一時的な輸出の落ち込みや穀物輸入価格の上昇による国際収支悪化を救済するという特殊な目的の補償的融資ファシリティー(CFF)も創設されている。
とくに、1990年代に入り、急激かつ巨額の資本移動で通貨危機が頻発していることを踏まえ、急激な市場での信認喪失によって、すでに大量の資本流出にみまわれている国を救済するために、スタンド・バイ取決め等を補完する補完的準備ファシリティー(SRF)が1997年に設けられた。さらに、健全な経済運営をしている国が危機に陥った場合に備えて、予防的に融資枠を設定できる予防的信用ライン(CCL)が1999年に創設されたが、機能しなかったため、2003年に廃止された。かわって、主として新興国を対象に、あらかじめ厳しい資格基準を満たしていることを条件に、緊急融資が可能となる弾力的信用ライン(FCL)が2009年に承認された。
新たな融資制度の創設と同時に、IMFでは従来の融資制度において課せられているコンディショナリティの見直しも行っている。マクロ経済に焦点をおいた融資条件と構造上の課題に焦点を置いた融資条件のうち、融資受入国の主体性を損なうような押し付けがましい条件は回避されるべきであるとして、後者の厳しい条件は廃止されることとなった。
(4)資本取引の自由化への関与
経常取引に関して所与の目的を達成しつつあるなかで、著しい国際資本取引の拡大、1973年以降の主要先進国の変動為替相場制移行を受けて、資本取引にかかわる為替管理が論点となってきた。基本的背景は、安定的な為替相場制(固定為替相場制)、自立的な金融政策の遂行、国際的な資本移動の自由化の三つを同時に達成することはできないという「国際金融のトリレンマ」からみて、固定為替相場制を標榜するIMF体制下では、各国が金融政策の自立性を確保しようとすれば、自由な国際資本移動は不可能であり、資本取引に関する為替管理を問題にする余地はなかった。
しかし、変動性、伸縮性の高い外国為替相場制の広がりとともに、1990年代には国際資本取引の自由化、為替管理の緩和に関してまで、IMFの権限を広げる議論へと発展した。アジア通貨危機により審議は棚上げとなったが、近年は世界金融危機の経験を踏まえて、国際資本取引の監視、規制への役割を求める動きがでてきている。
(5)IMFクォータと投票権の見直し
IMFにとって、クォータは主要な融資財源であるとともに、加盟国はクォータによって融資を受ける際の額(アクセス・リミット)と投票権が規定される。したがって、世界経済の規模や国際流動性の必要性、さらには世界経済における加盟国の地位の変化に応じて、増資総額の規模と増資額の各国への配分の見直しが行われている。
とくに、近年では世界経済における新興国の相対的な地位の向上を反映したクォータ改革、重要事項決定に関して、事実上拒否権をもちうるほど大きいアメリカのクォータ、投票権が注目されている。
[中條誠一]
『白井早由里著『検証IMF経済政策――東アジア危機を超えて』(1999・東洋経済新報社)』▽『平田潤監修、児玉茂・平塚宏和・重並朋生著『21世紀型金融危機とIMF』(1999・東洋経済新報社)』▽『荒巻健二著『アジア通貨危機とIMF――グローバリゼーションの光と影』(1999・日本経済評論社)』▽『S・フィッシャー、R・N・クーパー、R・ドーンブッシュほか、岩本武和監訳『IMF資本自由化論争』(1999・岩波書店)』▽『ローレンス・J・マッキラン、ピーター・C・モントゴメリー編、森川公隆監訳『IMF改廃論争の論点』(2000・東洋経済新報社)』▽『毛利良一著『グローバリゼーションとIMF・世界銀行』(2001・大月書店)』▽『白井早由里著『メガバンク危機とIMF経済政策――ホットマネーにあぶり出された国際機関の欠陥と限界』(2002・角川書店)』▽『上川孝夫・矢後和彦編『国際金融史』(2007・有斐閣)』
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…国際通貨基金International Monetary Fundの略称。国際連合の専門機関。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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