宮田 光雄(読み)ミヤタ ミツオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「宮田 光雄」の解説

宮田 光雄
ミヤタ ミツオ


肩書
貴院議員(勅選),衆院議員(庚申倶楽部)

生年月日
明治11年11月25日

出生地
三重県

学歴
東京帝大法科大学独法科〔明治38年〕卒

経歴
貴院書記官、臨時議院建築局経理部長、統計局参与などを経て、大正8年福島県知事。9年三重県から衆院議員に当選、はじめ無所属、のち庚申倶楽部に属し、11年加藤友三郎内閣の内閣書記官長。13年勅選貴院議員となり、昭和21年まで在任、研究会で重きをなした。この間、昭和2年田中義一内閣の警視総監となり、3.15、4.16の共産党弾圧を指揮した。14年政友会中島派総務、戦時中は興亜同盟協議会議長、翼賛会興亜総本部長などを務めた。

没年月日
昭和31年3月8日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「宮田 光雄」の解説

宮田 光雄
ミヤタ ミツオ

大正・昭和期の官僚,政治家 貴院議員(勅選);衆院議員(庚申倶楽部)。



生年
明治11(1878)年11月25日

没年
昭和31(1956)年3月8日

出生地
三重県

学歴〔年〕
東京帝大法科大学独法科〔明治38年〕卒

経歴
貴院書記官、臨時議院建築局経理部長、統計局参与などを経て、大正8年福島県知事。9年三重県から衆院議員に当選、はじめ無所属、のち庚申倶楽部に属し、11年加藤友三郎内閣の内閣書記官長。13年勅選貴院議員となり、昭和21年まで在任、研究会で重きをなした。この間、昭和2年田中義一内閣の警視総監となり、3.15、4.16の共産党弾圧を指揮した。14年政友会中島派総務、戦時中は興亜同盟協議会議長、翼賛会興亜総本部長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮田 光雄」の解説

宮田光雄(2) みやた-みつお

1928- 昭和後期-平成時代の政治学者。
昭和3年6月4日生まれ。ヨーロッパ思想史を専攻し,昭和38年東北大教授。44年「西ドイツの精神構造」で学士院賞。平和や教育への発言もおおく,自宅学生寮をつくり聖書研究会を主宰する。平成16年ドイツ大功労十字章を授章。高知県出身。東大卒。著作ほかに「現代日本の民主主義」「ナチ・ドイツの精神構造」など。

宮田光雄(1) みやた-みつお

1878-1956 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
明治11年11月25日生まれ。貴族院書記官,福島県知事をへて大正9年衆議院議員,13年貴族院議員。政友会に属し,昭和2年鈴木喜三郎内相のもとで警視総監となり,三・一五事件などを指揮した。のち大政翼賛会興亜総本部長。昭和31年3月8日死去。77歳。三重県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「宮田 光雄」の解説

宮田 光雄 (みやた みつお)

生年月日:1878年11月25日
大正時代;昭和時代の官僚;政治家。衆議院議員
1956年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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