慈光院跡(読み)じこういんあと

日本歴史地名大系 「慈光院跡」の解説

慈光院跡
じこういんあと

[現在地名]高野町高野山

谷上院たにがみいん谷をほぼ南北に走る通りの東側中央北寄りにあったが(文化一〇年高野山細見絵図)、現存しない。現在の高野山高校敷地の一角にあたる。文明五年(一四七三)の諸院家帳や「諸院家析負輯」によれば弘安三年(一二八〇)光信尊義房の建立で、本尊弥勒菩薩は慈氏菩薩ともいうことにより、院号としたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報