毛利 高範(読み)モウリ タカノリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「毛利 高範」の解説

毛利 高範
モウリ タカノリ


肩書
貴院議員,毛利式速記学校長

旧名・旧姓
旧姓=細川

別名
前名=侃次郎

生年月日
慶応2年12月5日(1866年)

出生地
熊本県

経歴
豊後佐伯藩主毛利高謙の養子となり、明治9年家督を相続して高範改名。17年子爵。21年ドイツに留学、帰国後式部官となり、大正2年から貴院議員に3期当選。ドイツ留学中ドイツ系の速記ファルマン方式を学び、これを基礎に毛利方式を組み立てた。大正12年毛利式速記学校を創立、校長となる。娘泰子(近衛秀麿夫人)がこの方式で「原田日記」を速記した。著書に「毛利式日本速記法」「毛利式日本速記述」がある。

没年月日
昭和14年6月12日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利 高範」の解説

毛利高範 もうり-たかのり

1867*-1939 明治-昭和時代前期の華族
慶応2年12月5日生まれ。肥後(熊本県)宇土(うと)藩主細川行真(ゆきざね)の次男。もと豊後(ぶんご)(大分県)佐伯(さいき)藩主毛利高謙(たかあき)の養子となり,明治9年家督をつぐ。17年子爵,大正2年貴族院議員。ドイツ留学中に知った速記法をもとに,12年毛利式速記学校を創立した。昭和14年6月12日死去。74歳。肥後(熊本県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android