豊沢 新左衛門(2代目)(読み)トヨザワ シンザエモン

新撰 芸能人物事典 明治~平成 の解説

豊沢 新左衛門(2代目)
トヨザワ シンザエモン


職業
義太夫節三味線方

本名
林 覚之助

別名
前名=豊沢 松吉,豊沢 松三郎

生年月日
慶応3年 5月23日

出生地
大坂(大阪府)

経歴
明治12年豊沢松太郎門下、豊沢松吉を名乗り新町瓢沢団平に師事、初代鶴沢道八とはライバル。瓢箪席、沢の席、新町座、彦六座など非文楽座の小屋に出演、新左衛門襲名。3代竹本大隅太夫没後も近松座、竹豊座で櫓下2代竹本春子太夫の相三味線を務めた。大正9年春子とともに舞台を退き、2代豊竹古靱太夫(山城少掾)の相三味線を務めた。古靱が4代清六と組んでからは太夫を決めなかった。近世名人の一人。

没年月日
昭和18年 3月24日 (1943年)


豊沢 新左衛門(初代)
トヨザワ シンザエモン


職業
人形浄瑠璃三味線方

本名
稲垣 新助

別名
初名=豊沢 松之助,前名=豊沢 仙八

生年月日
天保4年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
天保11(1840)年3代目豊沢広助の門人となり、松之助の名で座摩社の芝居で初舞台を踏む。その後仙八と改める。安政3年3月新左衛門を名乗る。4代目竹本弥太夫、初期の摂津大掾らの三味線を弾く。明治14年文楽座を退き17年彦六座開場に参加。3代目竹本大隅太夫らの三味線を弾いた。

没年月日
明治19年 1月6日 (1886年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 の解説

豊沢 新左衛門(2代目)
トヨザワ シンザエモン

明治〜昭和期の義太夫節三味線方



生年
慶応3年5月23日(1867年)

没年
昭和18(1943)年3月24日

出生地
大阪

本名
林 覚之助

別名
前名=豊沢 松吉,豊沢 松三郎

経歴
明治12年豊沢松太郎門下、豊沢松吉を名乗り新町瓢沢団平に師事、初代鶴沢道八とはライバル。瓢簞席、沢の席、新町座、彦六座など非文楽座の小屋に出演、新左衛門襲名。3代竹本大隅太夫没後も近松座、竹豊座で櫓下2代竹本春子太夫の相三味線を務めた。大正9年春子とともに舞台を退き、2代豊竹古靱太夫(山城少掾)の相三味線を務めた。古靱が4代清六と組んでからは太夫を決めなかった。近世名人の一人。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説

豊沢新左衛門(初代) とよざわ-しんざえもん

1833-1886 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天保(てんぽう)4年生まれ。大坂の人。義太夫節の3代豊沢広助の弟子。天保11年に初舞台。師の没後,2代豊沢団平の預かり弟子となり,安政3年新左衛門を名のる。4代竹本弥太夫,初代豊竹古靱(こうつぼ)太夫らの相三味線をつとめた。明治19年1月6日死去。54歳。本名は稲垣新助。初名は豊沢松之助。前名は豊沢仙八。

豊沢新左衛門(2代) とよざわ-しんざえもん

1867-1943 明治-昭和時代前期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
慶応3年5月23日生まれ。義太夫節の初代豊沢松太郎の弟子。松吉,松三郎を名のる。明治31年2代を襲名。2代竹本春子太夫,2代豊竹古靱(こうつぼ)太夫(山城少掾(しょうじょう))の相三味線をつとめた。昭和18年3月24日死去。77歳。大坂出身。本名は林覚之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例