野々瀬古墳群(読み)ののせこふんぐん

日本歴史地名大系 「野々瀬古墳群」の解説

野々瀬古墳群
ののせこふんぐん

[現在地名]朝倉村朝倉南 野々瀬

笠松かさまつ山西北の谷間約三〇〇メートルの緩傾斜面に四〇余基の大小墳丘が、多くは横穴式石室をもって作られていた。「愛媛面影」に「塚穴朝倉中村野の瀬と云所の山際に在り、そこかしこ立ち並びたり、大なるは幅一間高一丈長七間ばかり、小きは長さ三間ばかりなり、四方石垣を築立て上に大石をたて引わたしたり、その上に土を高く覆ひて小山の如し、松など生たり、すべて陵のさまにて小きなり、里人は上古の世に人の住けん跡なりといへどさる物にはあらで昔貴人を葬りし墓なるべし、大小凡四五十ばかりもありと云」とある。

これら古墳は天井の高さ二メートルに及ぶものもあったが、いま完存するものは少なく、県指定史跡の七間塚がこれらの代表例といえよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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