須田 禎一(読み)スダ テイイチ

20世紀日本人名事典 「須田 禎一」の解説

須田 禎一
スダ テイイチ

昭和期のジャーナリスト,評論家 元・北海道新聞論説委員;元・日中友好協会正統本部理事。



生年
明治41(1908)年12月21日

没年
昭和48(1973)年9月18日

出生地
茨城県行方郡牛堀

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部独文科〔昭和8年〕卒

経歴
昭和8年朝日新聞社に入社、浜松支局から12年東京本社東亜部に移り、17年上海特派員。戦後引き揚げ、22年退社、女子高校の教師を経て北海道新聞社に入り、東京在勤論説委員としてコラム「卓上四季」を担当、政治、社会、文化に革新的主張を展開。45年フリーとなり、「エコノミスト」のコラム「氷焰」を担当、反権力ペンを振るった。中国文学者・郭沫若を愛し、その翻訳に力を入れた。また日中友好協会正統本部理事としても活躍した。生前「味方を愛し、敵を憎んだジャーナリスト」という墓碑銘を用意した。評論集「ペンの自由を考えるために」、訳書「郭沫若史劇集」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「須田 禎一」の解説

須田禎一 すだ-ていいち

1908-1973 昭和時代のジャーナリスト。
明治41年12月21日生まれ。朝日新聞の記者をへて昭和26年北海道新聞の論説委員となり,コラム「卓上四季」を担当。日中友好に尽力し,郭沫若(かく-まつじゃく)の作品を翻訳,紹介した。昭和48年9月18日死去。64歳。茨城県出身。東京帝大卒。著作に「風見章とその時代」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「須田 禎一」の解説

須田 禎一 (すだ ていいち)

生年月日:1908年12月21日
昭和時代のジャーナリスト;評論家。北海道新聞論説委員;日中友好協会正統本部理事
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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