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郭沫若 かく まつじゃく

美術人名辞典の解説

郭沫若

中国の文学者歴史家・政治家。四川省生。字は開貞、号は鼎堂。中学卒業後来日、九州帝大医学部卒。在学中郁達夫らと創造社を結成、機関誌創造季刊」等発刊。帰国後北伐に参加。抗日文化活動を積極的に展開。中華人民共和国成立後は、中央人民政府委員などの要職をへて全人代副委員長。政協全国委員会副主席を歴任。主な著に『郭沫若全集』等。昭和53年(1978)歿、86才。

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デジタル大辞泉の解説

かく‐まつじゃく〔クワク‐〕【郭沫若】

[1892~1978]中国の文学者・歴史学者・政治家。楽山(四川省)の人。名は開貞。日本に留学中、文筆活動を開始。日中戦争勃発と同時に抗日救国に活躍。中華人民共和国成立後、政務院副総理・中国科学院院長・中日友好協会名誉会長などを歴任。詩集「女神」、戯曲「屈原」、著作「中国古代社会研究」など。クオ=モールオ。

クオ‐モールオ【郭沫若】

かくまつじゃく(郭沫若)

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百科事典マイペディアの解説

郭沫若【かくまつじゃく】

中国の作家,歴史学者。四川省出身。1914年日本留学。九大医学部在学中郁達夫(いくたっぷ)らと創造社を結成,文学に入る。奔放,直線的な性格と作風をもつ。1927年国共分裂により日本に亡命,1937年日中戦争開始と同時に帰国。
→関連項目沈従文成【ほう】吾田漢白話話劇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

郭沫若 かく-まつじゃく

1892-1978 中国の文学者,歴史学者,政治家。
光緒18年9月27日生まれ。九州帝大卒業後,帰国。国民革命軍にくわわり北伐に参加。昭和2年南昌蜂起に失敗,日本に亡命して中国古代史の研究に専念。日中戦争開始直後,日本から脱出して抗日宣伝活動にしたがう。その間,戯曲「屈原」を執筆。第二次大戦後,政務院副総理,中国科学院院長,中日友好協会名誉会長。親日派として知られた。1978年6月12日死去。87歳。四川省出身。本名は開貞。中国語読みはクオ-モールオ。

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世界大百科事典 第2版の解説

かくまつじゃく【郭沫若 Guō Mò ruò】

1892‐1978
中国の文学者,考古・歴史学者,政治家。本名郭開貞。筆名は鼎堂,麦克昂,易坎人など多数。四川省楽山県出身。成都の中学を出たあと,1914年渡日,一高予科,六高を経て18年九州帝大に進み医学を修める。高校在学中に西欧文学,とくにゲーテホイットマンに親しみ,口語自由律詩を作って新聞に投稿,新詩人として認められた。21年郁達夫らと創造社を結成,旧社会への反逆と個性の解放,芸術至上主義を掲げて,中国近代文学におけるロマン主義旗手と目された。

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大辞林 第三版の解説

かくまつじゃく【郭沫若】

1892~1978) 中国の文学者・歴史家。本名、開貞。日本留学中にロマン主義の詩人として出発。のち革命文学派に転じる。1928年、日本に亡命するが、盧溝橋ろこうきよう事件の直後、脱出し抗日統一戦線に参加。中華人民共和国成立後は科学院院長ほかの要職についた。詩集「女神」、戯曲「屈原」など。クオ=モールオ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

郭沫若
かくまつじゃく
Guo Mo-ruo

[生]光緒18(1892).11.16. 嘉定
[没]1978.6.12. 北京
中国の文学者,政治家。名,開貞。号,尚武。沫若は筆名。ほかに麦克昂,易坎人。 1914年九州大学医学部に留学。 21年7月,日本で郁達夫らと「創造社」を組織し,「芸術のための芸術」を主張。 23年帰国。 25年プロレタリア・リアリズムを提唱し,同時に実践活動に投じ,27年4月蒋介石の上海クーデター (国共分裂) 後,南昌蜂起に加わり,次いで弾圧を逃れて日本に亡命,中国古代史や文学研究に没頭した。 37年蘆溝橋事件の直後,日本人妻子を残して帰国,抗日救国の宣伝活動や評論,劇作に活躍した。解放後は民主政治運動の先頭に立ち,中央人民政府政務院副総理,文化教育委員会主任,科学院院長,中日友好協会名誉会長などを兼任。文化大革命のとき率先して自己批判を発表。文革時代から四人組批判以降も一貫して文化界の重鎮として活躍し,77年には全国人民代表大会常務委員会副委員長。小説『牧羊哀話』『函太関』,戯曲『北伐』,自伝『創造十年』,論文『中国古代社会研究』『卜辞通纂』『両周金文辞大系考釈』『十批判書』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

郭沫若
かくまつじゃく / クオモールオ
(1892―1978)

中国の詩人、作家、歴史学者。本名郭開貞。筆名は沫若のほか麦克昂(ばくこくこう)、易坎人(えきかんじん)など多数。四川(しせん/スーチョワン)省楽山(らくざん/ローシャン)県の中地主の家に、1892年11月16日に生まれる。少年時代から反逆精神に富み、中学時代二度も退学処分を受けた。成都(せいと/チョントゥー)の中学在学中に辛亥(しんがい)革命を体験、1914年日本に留学、旧制第一高等学校の特設予科、旧制第六高等学校を経て九州帝国大学医学部に学んだ。来日前に古い型の結婚をしていたが、一高在学中に佐藤をとみと恋愛、六高入学後に結婚、5子をもうけた。19年、本国の五・四運動に触発されて、詩を上海(シャンハイ)の『学灯』に投稿したのを最初に創作を始め、21年、同じく留学中の郁達夫(いくたつふ/ユイターフー)、成(せいほうご/チョンファンウー)らと創造社を結成、同年最初の詩集『女神(じょしん)』を出版した。初期の作品は、現実に対する反逆精神を直線的に歌い上げる傾向が強く、ロマンチシズム、個性の解放を掲げた創造社を代表するものであった。
 国民革命の進展とともに、河上肇(はじめ)の影響も受けてしだいにマルクス主義に接近、文学と革命との結合を唱えた最初の数人の一人となるとともに、創造社の左翼化をリードした。北伐時には国民革命軍総政治部秘書長として参加したが、1927年、四・一二クーデター後南昌蜂起(なんしょうほうき)に参加、国民党の追及を避けて28年日本に亡命、千葉県市川に住んだ。ここでは中国古代史研究に沈潜、今日からみてやや機械的という批判もあるが、この分野の学問に史的唯物論の方法を導入した意味は大きい。抗日戦開始直後、妻子を残して帰国、国共合作下の国民革命軍総政治部第三庁庁長として宣伝工作を担当。またこれに前後して于立群(うりつぐん)と結婚、彼女との間に3子をもうけた。抗戦中期からは反動傾向を強めた国民党に対する批判を『屈原』ほかの歴史劇に込め、大きな反響をよんだ。
 第二次世界大戦後は反内戦、民主主義の運動の先頭に立ち、解放後は、副総理、科学院院長などの要職を歴任する一方、古代史研究、史劇などに多くの仕事を残した。つねに時代の先頭を切る彼は、文化大革命開始の際にもいち早くこれを支持したが、1973年には批林批孔(ひりんひこう)の名を借りた文革派の攻撃も受けた。つねに政治の第一線にあり、振幅も大きいその行動様式には批判も少なくないが、それは私心によるよりも、その時々の思想的課題を彼なりに全力で生きたことによるもので、近代中国の知識人の代表の一人であることを失わない。78年6月12日死去。『沫若文集』17巻(1957~63)がある。[丸山 昇]
『『郭沫若選集』1、2、5~8、13、15巻(1977~86・雄渾社) ▽平岡武夫訳『歴史小品』(岩波新書)』

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世界大百科事典内の郭沫若の言及

【金石学】より

… 民国時代の殷墟をはじめとした各地での青銅器発見,新中国成立以後の発掘調査のめざましい進展によって金文資料は著しく増加した。王国維からあとの金文学は,《両周金文辞大系》ほか多数の著作を残した郭沫若,《商周彝器通考》で知られる容庚(ようこう)らによって継承されている。また日本でも貝塚茂樹,白川静らの金文学者が優れた業績を生み出した。…

【中国文学】より

…名作《阿Q正伝》(1921)をはじめ,《吶喊(とつかん)》《彷徨》の二つの作品集に収められた諸作品には,暗い現実を凝視する作者の視線に,みずからをも現実に対する加害者の一人ととらえる苦い内省の思いが影を落とし,独特の深みのある世界を作った。こうした文学研究会の傾向に反発した郭沫若,郁達夫(いくたつぷ)などは創造社を組織し,芸術至上主義を唱えた。彼らの傾向をもっともよく代表するのは郭沫若の長詩《女神》で,奔放な空想力を駆使して反逆の呪いと人間解放への希求を高らかに歌ったこの作品は,その内容と表現の両側面で真に近代詩の名に恥じない最初の作品となった。…

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