鳴海 要吉(読み)ナルミ ヨウキチ

20世紀日本人名事典 「鳴海 要吉」の解説

鳴海 要吉
ナルミ ヨウキチ

明治〜昭和期の歌人



生年
明治16(1883)年6月29日

没年
昭和34(1959)年12月17日

出生地
青森県黒石町(現・黒石市)

別名
号=帆羊,漂羊,うらぶる,浦春

学歴〔年〕
青森師範第二講習所〔明治40年〕卒

経歴
明治37年処女詩集「乳涙集」を自費出版。翌年島崎藤村を頼って上京するが、神経衰弱が高じ帰郷。下北郡下高等小学校に赴任し、結婚する。42年口語歌「半島旅情」を発表。同年渡道するが、のちに再上京し、大正3年ローマ字歌集「TUTINI KAERE」を刊行。口語歌運動の先覚者として15年口語歌雑誌「新緑」を創刊し、昭和7年「やさしい空」を刊行した。他に歌集「歌を作る人」、童話集「芽生をうゑる」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳴海 要吉」の解説

鳴海要吉 なるみ-ようきち

1883-1959 明治-昭和時代の歌人。
明治16年7月9日生まれ。38年上京し,田山花袋(かたい)の書生となる。のち青森師範第二講習所にまなび,郷里の青森県で一時小学校教員をつとめる。42年口語短歌「半島の旅情」を発表,大正15年口語歌誌「新緑」を創刊した。昭和34年12月17日死去。76歳。号は帆羊,漂羊,うらぶる,浦春。歌集に「やさしい空」「歌を作る人」など。
格言など】あきらめの旅ではあった 磯の端末(さき)の 白い灯台に 日が映して居た(「やさしい空」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例