田山花袋(読み)たやま かたい

美術人名辞典の解説

田山花袋

小説家。群馬県生。名は録弥。硯友社の一員となり、詩や小説を発表する。次第にフランスの自然主義文学に共鳴し、その日本への移植の先鞭をなす『重右衛門の最後』、評論『露骨なる描写』を、ついで私小説のはじまりと言われる『蒲団』を発表、日本自然主義文学運動の中心として活躍した。代表作に『生』『田舎教師』等がある。昭和5年(1930)歿、60才。

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百科事典マイペディアの解説

田山花袋【たやまかたい】

小説家。本名録弥。群馬県生れ。尾崎紅葉江見水蔭の指導を受けたが,自然主義的な作品《重右衛門の最後》によって文壇に認められた。評論《露骨なる描写》を書き,《文章世界》の主筆となって自然主義文学を鼓吹,1907年,告白的な暴露小説《蒲団》を発表。続いて《生》《妻》《縁》《田舎教師》等を書き,島崎藤村とともに自然主義文学の代表的作家となった。紀行随筆等にもすぐれ《南船北馬》《東京の三十年》等がある。
→関連項目岩野泡鳴国木田独歩新小説太陽徳田秋声中村星湖モーパッサン柳田国男早稲田派早稲田文学私小説

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田山花袋 たやま-かたい

1871-1930 明治-昭和時代前期の小説家。
明治4年12月13日生まれ。江見水蔭の門下。明治32年博文館に入社。「重右衛門の最後」,評論「露骨なる描写」をかき,平面描写を主張。39年「文章世界」の主筆となり,自然主義運動をすすめる。40年発表の「蒲団」はのちの私小説の出発点となった。昭和5年5月13日死去。60歳。群馬県出身。本名は録弥。代表作はほかに「田舎教師」「百夜」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

たやまかたい【田山花袋】

1871‐1930(明治4‐昭和5)
作家。群馬県生れ。本名録弥。父鋿十郎は館林藩の下級藩士であったが,維新後東京に出て警視庁の巡査になり,西南戦争で戦死,一家は館林に帰り,花袋は一時,東京京橋南伝馬町の有隣書店の丁稚になった。1886年兄の実弥登が修史局の書記になったのを機に,一家をあげて東京牛込富久町に移り住んだ。旧館林藩士で当時大学予備門学生であった野島金八郎から英語を学び,西洋文学に関心を持つようになった。小学校時代から《穎才(えいさい)新誌》に漢詩文を投稿していたが,兄の世話で桂園派の歌人松浦辰男(萩坪)の指導をうけ,松浦主宰の〈紅葉会〉で松岡(柳田)国男と知り合った。

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大辞林 第三版の解説

たやまかたい【田山花袋】

1871~1930) 小説家。群馬県生まれ。本名、録弥。「文章世界」主筆として自然主義を標榜、平面描写論を唱え自然主義文学の重鎮となった。代表作「蒲団」「生」「田舎教師」「時は過ぎ行く」「一兵卒の銃殺」「東京の三十年」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田山花袋
たやまかたい

[生]明治4(1871).12.13. 館林
[没]1930.5.13. 東京
小説家。本名,録弥。別号,汲古。 1891年尾崎紅葉に入門,その指示で江見水蔭に兄事。硯友社系作家として『瓜畑』 (1891) などを書いたが,『重右衛門の最後』 (1902) 頃から客観的態度を重視,1907年『蒲団』を発表,仮構より告白を重んじるという日本自然主義文学の性格と方向を定めた。その後文芸雑誌『文章世界』を拠点に自然主義を推進,『生』 (08) ,『妻』 (08~09) ,『縁』 (10) の3部作や,『田舎教師』などを発表して,島崎藤村と並ぶ自然主義文学の代表作家となった。しかし,『髪』 (11) あたりから次第に虚無的な人間認識を強め,『時は過ぎゆく』 (16) から晩年の名作『百夜』 (27) へと個性の円熟を示した。ほかに『一兵卒』 (08) ,『土手の家』 (08) ,『再び草の野に』 (19) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田山花袋
たやまかたい
(1871―1930)

小説家。明治4年12月13日、群馬県館林(たてばやし)に生まれる。本名は録弥(ろくや)。旧館林藩士の父十郎(しょうじゅうろう)は1874年(明治7)警視庁巡査となり上京、花袋は1876年母に連れられ父の許にきたが、翌年、父は西南戦争に従軍して戦死、花袋と母たちは館林に帰る。1881年家計を助けるために、小学校の学業なかばで東京・京橋南伝馬町の有隣堂書店の丁稚(でっち)となったが、翌年不都合なことをおこして、館林に帰り復学、かたわら吉田陋軒(ろうけん)の休々草堂で漢詩文を学び、『穎才新誌(えいさいしんし)』に、和歌や漢詩を投稿した。1886年、兄実弥登(みやと)が修史局に勤めたので一家をあげて東京・牛込(うしごめ)富久(とみひさ)町に住む。大学予備門(東京大学の前身)に通う同藩の野島金八郎に英語を学び、西洋文学に触れる。1889年ごろより松浦萩坪(しゅうへい)(松浦辰男)の「紅葉会」に入り、和歌を正式に学び松岡国男(柳田国男(やなぎたくにお))を知る。このころから、軍人や政治家志望をやめ、文学に進むことを決意する。
 1891年尾崎紅葉(こうよう)を訪問、直接には江見水蔭(えみすいいん)の指導を受け『千紫万紅』に『瓜畑(うりばたけ)』などを発表、1894年『文学界』に近づき、島崎藤村と交わる。1896年国木田独歩を知り、翌1897年民友社より独歩らとの共著で詩集『抒情詩(じょじょうし)』を出版する。貧窮のため心の慰藉(いしゃ)を旅に求めて書いた紀行文集『南船北馬』(1899)が博文館の大橋乙羽(おとわ)に認められ、1899年博文館に入社、詩友太田玉茗(ぎょくめい)の妹リサと結婚。1900年(明治33)より週刊『太平洋』の編集に加わり、ゾラ、フロベールらの外国文学を研究して紹介、1902年『重右衛門の最後』、1904年『露骨なる描写』を発表、日露戦争従軍と相まって傍観者態度による「平面描写」を確立した。1906年『文章世界』の主筆となり、1907年『蒲団(ふとん)』を書き、自然主義文学の地位を築いた。『生』(1908)、『妻』(1908~09)、『縁』(1910)の長編を次々と創作、1909年に書き下ろしで刊行した『田舎(いなか)教師』は名作として人々の心をとらえた。1912年博文館を退社、『人生の一宿駅』を書き、翌年藤村の渡仏を見送ったころから大きな転機を迎え、日光などにこもり、フランスの作家ユイスマンスから仏教へと心を移し、『時は過ぎゆく』(1916)、『一兵卒の銃殺』(1917)など意欲的な仕事をしながら『残雪』(1918)などに諦念(ていねん)の世界を描いた。1920年(大正9)花袋・秋声生誕50年の会が催され、『文章世界』終刊のころから、『源義朝(よしとも)』(1924)などの歴史小説に自己を投影し、愛妓(あいぎ)を中心にして男女の愛欲を問題にした『髪』(1912)から長編『百夜(ももよ)』(1927)を書き、1930年(昭和5)5月13日喉頭癌(こうとうがん)で没した。[小林一郎]
『『花袋全集』全17巻(1973~74・文泉堂) ▽柳田泉著『田山花袋の文学』2巻(1957、58・春秋社) ▽岩永胖著『自然主義文学に於ける虚構の可能性』(1968・桜楓社) ▽小林一郎著『増補 田山花袋』(1969・創研社) ▽小林一郎著『田山花袋研究』全10巻(1976~84・桜楓社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

たやま‐かたい【田山花袋】

小説家。本名録彌。群馬県館林出身。はじめ江見水蔭に学び、短編小説に筆を染める。明治四〇年(一九〇七)「蒲団」を発表、自然主義文学の代表的作品と評価され、自己を真率に告白する態度は、日本の自然主義の方向を決定した。また、歴史小説や、「東京の三十年」のようなすぐれた随筆も発表。ほかに「生」「田舎教師」「時は過ぎゆく」「一兵卒の銃殺」など。明治四~昭和五年(一八七一‐一九三〇

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世界大百科事典内の田山花袋の言及

【田舎教師】より

田山花袋の長編小説。1909年(明治42)左久良書房刊。…

【東京の三十年】より

田山花袋の回想集。1917年(大正6),書きおろしで博文館から出版。…

【蒲団】より

田山花袋の中編小説。1907年(明治40)《新小説》に発表。…

【フランス文学】より

…森鷗外〈エミル・ゾラが没理想〉(1892)がその一例である。ゾラの考えた〈自然〉は,明治の日本では正当に理解されたとは言えないが,島崎藤村,田山花袋ら,やがて日本の自然主義を形づくる小説家たちは,ゾラやモーパッサンの作品から学ぶところ大きかった。彼らはまた,その頃《懺悔録》と訳されていたルソー《告白》の影響もあって,文学は内心の吐露であるべしとも考えていた。…

【私小説】より

…最も日本的な文学形態だけに,日本的な偏りを批判されることが多かった。
[発生と日本的特異性]
 用語例として〈私小説〉が確立される以前,田山花袋《蒲団》(1907)が赤裸々な恋愛感情を表現したのが私小説の事実上の発祥とされている。ヨーロッパの自然主義の影響による事実尊重と近代自我拡充の欲求が結合して私小説を生んだのである。…

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