鹿籠郷(読み)かごごう

日本歴史地名大系 「鹿籠郷」の解説

鹿籠郷
かごごう

鹿児島藩の近世外城の一つ。河辺郡に所属。鹿籠喜入氏の私領で、鹿児島城下の南西一三里半余の地にあり、鹿籠郷は鹿籠村一村で構成される(「三国名勝図会」など)。天正一五年(一五八七)頃に喜入氏五代季久が鹿籠に入封(本藩人物誌)。文禄三年(一五九四)太閤検地の際、鹿籠の庄屋山村与三と検地役人の間で口論があり、山村は役人を打擲するという事件となった。そのため季久の子久道は喜入きいれ・鹿籠を没収されて永吉ながよし(現吹上町)に移封となった(以上、渡辺家文書)。これにより鹿籠は島津氏直轄領となる。七代喜入忠政(忠続)は久道の弟であるが、久道の跡を継いだ。文禄元年豊臣秀吉の命を受けて朝鮮に渡り、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦には島津義弘に従って西軍に参加した(喜入氏系図)。この忠政が鹿籠復帰を許されたのは慶長六年春頃とみられ、鹿籠は喜入氏の私領となった。しかし忠政の妻了参が死去し、後妻に小西行長の娘妙身を迎えたためキリシタン家臣の内部まで侵食した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報