K2峰(読み)ケーツーほう

精選版 日本国語大辞典 「K2峰」の意味・読み・例文・類語

ケーツー‐ほう【K2峰】

  1. ( 「K2」は「カラコルム山脈測量番号二号」の意 ) カシミール北部、カラコルム山脈の中央部にある世界第二位の高峰。標高八六一一メートル。一八五六年イギリスのモンゴメリーが測量。一九五四年イタリアの登山隊が初登頂チョゴリゴドウィン‐オースチン山。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「K2峰」の意味・わかりやすい解説

K2峰
けーとぅーほう

パキスタン領カシミール、カラコルム山脈のほぼ中央部にある高峰。バルトロ氷河の北、ゴドウィン・オースティン氷河の源頭部近くにそびえる。標高8611メートル。1858年インド測量局のモントゴメリーThomas George Montgomerie(1830―1878)が、カシミールのハラムク(4877メートル)の地点から初めて測量し、この2年後に資料整理の結果、世界第2位の高峰であると算定された。K2とは、インド測量局の単なるピーク番号であって、K2が世界第2位の山であることとは別の意である。初め現地名がみつからないとの理由で、モントゴメリー山という案もあったが使用されず、ついで1861年初めてバルトロ氷河に探検に入ったゴドウィン・オースティンHenry Haversham Godwin-Austen(1834―1923)にちなんで、ゴドウィン・オースティン山と命名する提案もあり、一時この名を用いた例もある。のちこの地方で、バルティ語でチョゴリ(大きな山)という呼び名のあることがわかったが、英語読みのK2という名称が広く一般化したため、これがいま正式名となっている。K2の山塊は、「K2片麻(へんま)岩」とよばれる正片麻岩よりなり、灰緑色を呈する。山麓(さんろく)には、黒色千枚岩、緑泥(りょくでい)片岩石灰質片岩がみられる。

[金子史朗]

登山史

1892年イギリスの登山家マーティン・コンウェーがバルトロ氷河地域に入り、K2周辺も偵察したが、登山には至らなかった。本格的登山は1902年エッケンスタインOscar Johannes Ludwig Eckenstein(1859―1921)一行が試頂したときに始まる。1909年に有名なイタリアのアブルッツィ公Duca degli Abruzzi(1873―1933)の大遠征隊が挑んだが失敗、1929年イタリアのスポレート公Duca di Spoleto(1900―1948)の率いる登山隊も失敗した。1938年アメリカ隊(隊長ハウストン)が試頂したが7925メートルで敗退、1939年第二次アメリカ隊(隊長ウィスナー)、1953年第三次アメリカ隊(隊長ハウストン)も失敗に終わった。1954年7月31日、イタリア隊(隊長デジオ)がアブルッツィ稜(りょう)(南東稜)からついに初登頂に成功した。その後1977年日本山岳協会(現、日本山岳・スポーツクライミング協会)の登山隊(総指揮吉沢一郎)が第2、第3登頂に成功した。

[金子史朗]

 2006年(平成18)に東海大学の登山隊がK2の登頂に成功し、隊員の青木達哉(たつや)(1984― )は世界最年少で、同じく小松由佳(ゆか)(1982― )は日本女性で初の登頂となった。

[編集部 2020年3月18日]

『ケニス・メイスン著、田辺主計他訳『ヒマラヤ――その探検と登山の歴史』(1956・白水社)』『アルディート・デジオ著、近藤等訳『K2登頂』(1956・朋文堂)』『深田久弥著『ヒマラヤの高峰2』(1973・白水社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android