T.レックス(読み)てぃーれっくす(英語表記)T-Rex

日本大百科全書(ニッポニカ) 「T.レックス」の意味・わかりやすい解説

T.レックス
てぃーれっくす
T-Rex

イギリスのロック・グループ。マーク・ボランMarc Bolan(1947―1977、本名マーク・フェルドMarc Feld、ボーカルギター)が率い、1970年から1972年にかけて10曲以上のヒットを放った。とりわけ10代の少女に最も人気のあるアーティストとなり、グラム・ロック(きらびやかに着飾ったミュージシャンによる退廃的な雰囲気を強調したロック)のブームを巻き起こした。

 ボランはロンドンイーストエンドの出身。9歳のころからギターを弾いていたが、若いながらも自己宣伝にたけていた彼は、15歳のときにモッズ族(1960年代ロンドンで若者に流行したファッション・音楽スタイル。名前はモダンズ(moderns)からきている)の若者の代表としてメディアに登場し、それで注目されたことを利用してモデルの仕事につく。1965年にマーク・ボウランドと名乗って、デビュー・シングルを録音翌年からボランという名前を使い始める。1967年にはジョンズ・チルドレンにギタリストとして参加してヒットを放ち、フー前座などを務めた。

 1968年にボランはボンゴ奏者のスティーブ・トゥックSteve Took(1949―1980)と組んでフォーク・ロック・デュオ、ティラノザウルス・レックスを結成。T・レックスの成功にとって重要な存在となるプロデューサーのトニー・ビスコンティTony Visconti(1944― )の力を借り、当時のフラワー・パワー文化(物質文明を否定し、神秘主義への傾倒やドラッグ体験によって精神世界を探究しようとした1960年代の対抗文化)に影響を受けたサイケデリックなアコースティック・サウンドを作りだした。魔術や神話、おとぎ話に満ちたボランの作品はいくぶん作りものめいたところもあったが、ラブ・アンド・ピースを唱えたヒッピー文化の時代のエッセンスをとらえていた。「デボラ」「ワン・インチ・ロック」(ともに1968年)がヒットし、彼らはアンダーグラウンド・シーンでカルト的な人気を得た。

 ところが1970年にボランは大変身を遂げ、ポップ音楽界の主流に躍り出る。アメリカ・ツアーがうまくいかず、ボランの日陰にいることに不満だったトゥックが辞め、代わりにミッキー・フィンMickey Finn(1947―2003、パーカッション)が参加。ボランはエレクトリック・ギターを手にし、スティーブ・カリーSteve Currie(1947― 、ベース)とビル・リジェンドBill Legend (1944― 、ドラム)を加えたバンド編成によるロック・サウンドに転じた。同年グループ名をT・レックスと縮めて発表した「ライド・ア・ホワイト・スワン」が全英ヒット・チャート第2位の大ヒットとなった。

 ボランは軽快なエレクトリック・ブギと呪文のような単純な歌詞により、若者たちの考え方や行動を賛美し、若者たちにとっての賛歌となった歌をつくり出してたちまち少女たちの心をとらえ、ビートル・マニア(デビューから数年間のビートルズをとりまいたファンの熱狂とそれが巻き起こした大騒動を指す)の再来を思わせるヒステリックなまでの大人気を獲得した。1971年に「ホット・ラブ」「ゲット・イット・オン」がヒットし、代表作となる同年のアルバム『電気の武者』も好評のうちに受けとめられた。続く1972年にも「テレグラム・サム」「メタル・グルー」とヒットが相次いだ。

 ボランの人気はイギリスのロック界にグラム・ロックの流行を巻き起こす。「グラム」はグラマラスからきた言葉で、彼らは男性ながら派手な化粧をし、きらびやかな衣装を着た両性具有的イメージを売り物にしたのである。ボランはジギー・スターダスト時代のデビッド・ボウイとともに、そのブームの牽引者だった。

 1973年にビートルズのリンゴ・スターRingo Starr(1940― )がT・レックスの成功の軌跡をたどるドキュメンタリー映画『ボーン・トゥ・ブギ』を撮影するが、その年の終わりには人気に陰りが見られるようになる。10代の少女が中心だったファンは、T・レックスを追いかけるように登場してきたスレイドなどの新しいグループに興味を移していったのだ。

 1975年にボランはT・レックスの解散を宣言し、アメリカに渡る。翌年に帰国した彼は、アメリカ人歌手グロリア・ジョーンズGloria Jones(1938― )と暮らし、一緒に音楽活動を行うようになる。1977年にはニュー・ウェーブ系ミュージシャンたちからの再評価に励まされ、T・レックスを再結成し、パンク・ロック・グループのダムドとツアーを行なったが、その年ジョーンズの運転していた自動車が事故を起こしボランは死亡した。まだ30歳の若さだった。

 トゥックは1980年に亡くなり、2001年にT・レックスの名前を使ってツアーを行ったフィンも2003年に死亡した。

[五十嵐正]

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