英リバプール出身の4人組バンド。1962年にレコードデビューした。「抱きしめたい」や「ア・ハード・デイズ・ナイト」などがヒットし、世界的な人気を獲得。斬新なファッションや機知に富んだ発言も若者に支持され、社会現象となった。他の代表曲に「イエスタデイ」「ヘルプ!」「愛こそはすべて」「ヘイ・ジュード」など。
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1960年代の若者文化の頂点に立ったイギリスのロック・グループ。ジョン・レノン(1940-80),ポール・マッカートニーPaul McCartney(1942- ),ジョージ・ハリソンGeorge Harrison(1943-2001),リンゴ・スターRingo Starr(1940- )の4人から成る。通常レノンとハリソンがギター,マッカートニーがベース,スターがドラムスを担当し,多くの場合レノンもしくはマッカートニーを中心に全員で歌った。
4人ともイングランド西海岸の港町リバプールの生れ。1955年,中学生のレノンが作った〈クオリーメン〉というグループにマッカートニーが参加,58年にハリソンも加わり,グループ名が何度か変えられたのち,〈ザ・ビートルズ〉となる。60年,ドイツのハンブルクで演奏。61年,3度目にハンブルクに行った際に初めてレコードを録音(ポリドール)した。この年の暮れ,ブライアン・エプスタインBrian Epsteinがマネージャーを引き受ける。62年,ドラマーだったピート・ベストに代わってスターが入り,4人のメンバーが確定して初めてのシングル・レコード《ラブ・ミー・ドゥーLove Me Do》(パーロフォン)を出した。それ以後,急速に人気が高まり,63年にかけて《プリーズ・プリーズ・ミーPlease Please Me》《シー・ラブズ・ユーShe Loves You》《抱きしめたいI Want To Hold Your Hand》など大ヒットを放ち,64年に初のアメリカ公演でセンセーションを巻き起こし,世界的なスーパースターとなった。
ビートルズの人気は熱狂的で,イギリスでもアメリカでも公演に集まったティーンエイジャーが悲鳴のような喚声をあげ続け,彼らの車を追いかけ回し,マッシュルーム・カットと呼ばれた長髪をまねるなど,マス・ヒステリー状態を現出しておとなたちのひんしゅくを買った。初期のビートルズの音楽はアメリカのリズム・アンド・ブルースやエルビス・プレスリーなどに学んだ単刀直入なロックンロール・スタイルで,粗野ななかに繊細なロマンティシズムを秘めており,リバプールやハンブルクでの数年間の下積み時代に鍛えた演奏力と,レノンとマッカートニーに備わった作詞・作曲の才能が大きな武器となっていた。人気が爆発したのちも音楽的に成長を続け,65年から67年にかけてのヒット曲《イエスタデーYesterday》《エリナー・リグビーEleanor Rigby》,意欲的なアルバム《ラバー・ソウルRubber Soul》《リボルバーRevolver》《サージェント・ペパーズ・ローンリー・ハーツ・クラブ・バンドSergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band》(いずれもパーロフォン)は,高度に洗練されたポピュラー音楽として絶賛された。
この65-67年がビートルズの音楽活動の絶頂期で,彼らのLPには新鮮なアイデアが盛り込まれ,しかも当時急速に進歩しつつあった録音技術を効果的に生かし,ジャケットデザインにまで十分に気を配って,ポピュラー音楽のレコード製作の水準を大いに高めた。映画の分野でも,1964年の《ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!》(原題《A Hard Day's Night》),65年の《ヘルプ! 四人はアイドル》(原題《Help !》。ともに監督はリチャード・レスターRichard Lester(1932- ))を,それまでのポップ・スターの顔見せ映画とは異なった作品に仕上げるなど,音楽の分野だけにとどまらない大きなスケールと斬新な創造性をもつユニークな大衆的ヒーローとして,一時代を画した。
しかし,人気が高いだけ反動も大きく,65年に外貨獲得への功績でエリザベス女王からMBE勲章を受けたことへの反感,66年にレノンが,〈われわれはキリストより有名になった〉と発言したことへの教会関係(とくにアメリカの)からの抗議,そのほか,若者が堕落したのはビートルズのせいだといったたぐいの根拠のない非難が浴びせられた。67年にマネージャーのエプスタインが死亡したこと,同じ年に設立したビートルズ自身の会社アップル(レコード,衣類など幅広く取り扱うことを計画)が行き詰まったことや,自主製作したテレビ用16ミリ《マジカル・ミステリー・ツァー》の失敗なども重なって活動は低迷し,4人の結束の乱れがしばしば表面化した。
68年のシングル・ヒット《ヘイ・ジュードHey Jude》,69年のアルバム《アビー・ロードAbbey Road》(ともにアップル)などでまだすばらしい創造力が保たれていることを示したが,70年にマッカートニーが脱退の意志表示をしたのをきっかけに,解散を決定した。
執筆者:中村 とうよう
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イギリスのロック・グループ。ジョン・レノンJohn Lennon(1940―80、ギター)、ポール・マッカートニーPaul McCartney(1942― 、ベース)、ジョージ・ハリソンGeorge Harrison(1943―2001、ギター)、リンゴ・スターRingo Starr(1940― 、ドラムス)の4人。いずれもリバプール生まれ。ジョンが1953年末に結成したクォリーメンに56年ポールが、58年ジョージが参加、その後シルバー・ビートルズを経て60年にビートルズと改名、62年リンゴがピート・ベストの後任として参加。同年『ラブ・ミー・ドゥ』がヒット。64年初めに『抱きしめたい』がアメリカでも大ヒットして世界的なビートルズ旋風となる。現代人の思考と感情をジョンとポールを中心に優れた自作の詩と曲で表現し、ポピュラー音楽全般に強い影響を及ぼして新しい流れをつくり、史上もっとも偉大なグループと高く評価されている。また、彼ら4人の生き方は同世代の若者たちの強い共感をよび、その影響は音楽を超えて若者文化全般に及んだことも特記される。65年、外貨獲得の功績でエリザベス女王からMBE勲章を受章。66年(昭和41)6月、東京公演のため来日している。70年に解散、各自ソロ活動に入った。その後、何回も復活の噂(うわさ)が流れたが、ヨーコ・オノ(小野洋子)と結婚して話題をよんだジョンがニューヨークで射殺されたため、実現しないで終わった。
[青木 啓]
『P・ブラウン、S・ゲインズ著、小林宏明訳『ビートルズ ラヴ・ユー・メイク』全二冊(1984・早川書房)』▽『H・デヴィス著、小笠原豊樹・中田耕治訳『ビートルズ』増補版(1986・草思社)』
…メディアはLPレコード,テレビ,FMラジオに切り替わり,音楽産業は多国籍複合企業体の支配下に置かれ,新しい情報産業の一環として,ペイオーラといった姑息な手段でなく,もっと大がかりで巧妙な大衆の意識操作による大量販売方式へと進んできている。 こうした音楽業界の内情とは裏腹に,1960年代のフォーク・ソングと新しいロックの台頭以後,ボブ・ディランやビートルズに代表されるスーパースターたちは,音楽産業によって作り出されたというよりも,自分自身の音楽的姿勢のもとに自身が作詞・作曲し,手づくりでサウンドを発展させてきた。まして70年代にカリブ海の小さな黒人国ジャマイカで起こったレゲエ,80年代にアフリカのナイジェリアやザイール(現,コンゴ民主共和国)から世界に飛び出してきたアフロ・ミュージックなどは,巨大音楽産業の関知せぬところからこそ,真にインパクトのあるポピュラー音楽が生まれてくるということを示す。…
… ロックを生んだ国アメリカがそうした状況にあったとき,意外にもイギリスから,新しいロックの動きが興ってきた。62年,ビートルズの《ラブ・ミー・ドゥーLove Me Do》に始まって,ローリング・ストーンズThe Rolling Stones,ジ・アニマルズThe Animalsなど多くのグループが,ロックの原点を取り戻し,アメリカの若者にも熱狂的に迎えられたのである。すぐそれに続いて,アメリカでも呼応するような動きが出た。…
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