英語のmysticismなど〈神秘主義〉と訳される西欧近代語は,語源的には,〈(目あるいは口を)閉じる〉という意味のギリシア語myeinに由来するといわれる。それによってすでに通常の表現を許さない経験が示唆されているが,神秘主義とは,神,最高実在,宇宙の究極的根拠などと考えられる絶対者を,その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場をいい,さまざまなバリエーションをもって広く宗教史のうちにあらわれている。
神秘主義の根本特質は,術語的に〈神秘的合一(ウニオ・ミュスティカunio mystica)〉といわれる絶対者と自己との合一体験にある。それは,人間を超えた絶対者との合一,通常の自己からは絶対的に他なるものとの合一であるから,必然的に自己からの脱却,自己という枠の突破を通してのみ現成する。合一はすなわち同時に脱自であり,神秘家は体験的にいわゆるエクスタシー(脱我,忘我)を知っている。そしてそこで真の自己に目覚めるのである。自己は絶対者の現前に吸収され尽くして無になり,したがって同時に,絶対者から対象性が脱落してそれが真の自己の根拠になる。このような自己の徹底的な死と復活である脱我的合一が神秘体験の宗教的核心をなす。この点で神秘主義は,絶対者を世界のうちにみる世界観としての汎神論から区別される。神秘主義がその世界観として汎神論を採ることはあっても,汎神論は直ちに神秘主義ではない。神秘的合一はあくまでも自己自身の内面を通ってその最内奥におけるできごとであり,神秘主義が〈魂〉あるいは〈霊〉ということを強調するゆえんである。その内面性は内在性とは異なり,最内奥において自己が破られる体験であって,内面に向かって無限の深さが開かれることである。魂の内奥が自己を超えて神の秘奥であるような,そのような内面性である。自己がその最内奥において破られるという点からして,合一体験の初相は絶対的受動性を示す。しかしそれと同時に,それまで自己の枠によってふさがれていた〈生の尽きせぬ泉〉が湧き出で,それが新しい自己の生命となる。絶対的受動性のゆえに逆説的に生の活発な高揚と無限感が与えられるのである。
神秘主義の核心をなす以上のような神秘的合一は,直接の合一体験そのものとしては非持続的ではあるが,体験の主体の自己理解および世界理解を根本的に組み替えていくほどに決定的である。合一体験は反省的に自覚化され,神秘主義は,絶対者のあり方,絶対と相対との関係,魂の本質と働きなどに関する思想(神秘神学,神秘哲学)を展開する。その際,中心的な概念としては〈一〉および〈無〉があらわれてくるが,元来言葉を絶した事柄をいう神秘思想の言葉は,否定的,逆説的,象徴的表現に満ちている。また思想的展開と並んで独特の実践形態が形成される。合一への魂の上昇過程が自覚化されて〈神秘道〉の階梯が立てられ,神秘体験にあずかろうとするものに対してその歩むべき修行の道程が示される。浄化道・照明道・合一道,あるいは,集中・寂静・合一などさまざまな階梯の立て方に共通する基底は禁欲,沈黙,貧,孤独,離脱など自己無化にいたるまでの自己放棄と,絶対的帰依,専心の祈り,瞑想への沈潜など絶対者への極度の集中である。神秘主義とは以上のように,合一体験を核心とし,その自覚としての思想形態と,体験への道としての実践形態とを備えた一つの包括的な実存様式である。そこから神秘主義はさらに文学,芸術,生活態度などに浸透してゆく。
宗教史における神秘主義の現象形態は,驚くほどの多様性(これはさまざまに類型化されうる)とともに同質性を示している。以下,それを世界の代表的な宗教に即して概観する。
(1)ウパニシャッド 東洋古来の諸宗教のうちでは,まずウパニシャッドの神秘主義がとくに顕著である。その代表者としてウッダーラカ・アールニとヤージュニャバルキヤを挙げることができる。万物の根源である最高唯一の実在をサットsat(実有)と呼んだウッダーラカは,〈汝がそれであるtat tvam asi〉と教える。真我を探究したヤージュニャバルキヤの〈非ず,非ずのアートマンneti neti ātman〉という句は,アートマンの至上性,非限定性をあらわすとともに,いっさいの相や形を離れ超えてゆく内観の道を示している。2人に代表されるような立場は,〈梵我一如〉すなわち,世界万有を根本から統一する原理であるブラフマンが個我の内面的本質であるアートマンと別でないという自覚として長くインド精神史を貫いている。
→ウパニシャッド
(2)仏教 仏教がとったさまざまな歴史的形態の内でもっとも典型的に神秘的合一の立場を示しているのは密教である。密教行法の基本は,本尊を迎えてこれと身口意の三密において合一する三密瑜伽(さんみつゆが)である。本尊の結ぶ印契を身に結び,本尊の誦す真言を口に誦し,本尊の念ずる観念をこらすことによって感応道交一体となる。その際,本尊が我が身に入り,我が本尊の身に入り,一体無二無別と観ずる入我我入観が説かれる。密教に反して,仏陀の立場や禅の身心脱落・脱落身心を神秘主義とすることには問題がある。
→密教
(3)イスラム 厳格な唯一神教であるイスラムの地盤からも,スーフィズム(スーフィーṣūfīはイスラムの神秘家をあらわす言葉)といわれる神秘主義の流れが生じた。これは新プラトン主義哲学やキリスト教からのみならず,ヒンドゥー教や仏教からも影響を受けて成立したといわれる。11世紀に活躍したイスラム最大の神学者であり同時に神秘家であるガザーリーによれば,スーフィーたる第1の条件は魂から神ならざるいっさいを引き離すこと,第2に燃えるような魂から発する謙虚な祈り(ドゥアー)と神の瞑想への集中である。こうして魂は神のうちに吸収されてゆく。この有頂天(脱自,ファナーfanā')において天使や預言者の声が聞こえるが,究極においては魂は〈あらゆる表現を絶する程度に上昇し,それを説明しようとすると,その説明の言葉が罪を含まざるをえないまでにいたる〉。ここにおいて,神そのものに〈人が自分の手で物に触れたかのように〉直接する。また,彼はいう。〈唯一つ真に存在する光は神自体であり,万物は神の本質的な光から発せられる光線にほかならない〉。
→イスラム神秘主義
(4)ユダヤ教 ユダヤ教においても,形式的律法主義に陥る危険に反対して神秘主義の運動があるが,特異なものとしては,主として13世紀にスペインで展開したカバラと18世紀初頭ポーランドやウクライナのユダヤ人の間に広まったハシディズムがある。カバラとはヘブライ語で〈伝承〉の意味であるが,ここでは神や世界に関して受け継がれた秘義による神智学的神秘説をいう。カバラによれば,人間には,神と世界との根源的調和を実現するために神と一つになって働く力,〈神の火花〉が与えられている。この〈神の火花〉を現世界の生の瞬間瞬間に絶えず発火させようとする〈日常性の聖別〉の生活そのものがハシディズムの立場である。語源的には,〈敬虔者〉を意味するヘブライ語のハシドḥāsîdに由来するといわれる。そしてこの神の火花の発火は,ハシッドとツァディクṣaddîḳ(〈義人〉の意)と呼ばれる指導者との交わりの生活のうちで生起する。あるツァディクは,神の事を学びにきたハシッドに食器を磨くことを教えた。
→カバラ →ハシディズム
(5)キリスト教 キリスト教神秘主義の源泉は新約聖書とくにパウロやヨハネの信仰におけるキリスト体験にある。それはパウロの場合,イエスの死を死に,イエスの生を生きるという体験であり,聖霊によってキリストと〈同じ像に化〉せられることであった。〈われキリストとともに十字架につけられたり。もはやわれ生くるにあらず,キリストわが内にありて生くるなり〉。《ヨハネによる福音書》は霊(プネウマpneuma),生命,光など神秘主義的精気をはらんだ言葉に満ちている。またそのプロローグの〈ロゴス〉はキリスト教神秘思想の根本概念となった。
やがてキリスト教神秘主義はその思弁において,プロティノスを祖とする新プラトン学派の決定的な影響をうける。プロティノスは感覚的世界と超感覚的世界のもう一つうえに絶対的一者をおき,人間の魂は脱自によって一者と合一するとした。この思想はプロクロスを通して5世紀末,ディオニュシウス・アレオパギタの名をかりた著作家によってキリスト教的に変容された。偽ディオニュシウスによれば,神はいっさいの規定を超えており,善とも存在ともいうことはできない。神は超善,超存在である。いっさいの形容と規定を否定することこそ神への道である。神を知る知は,〈無知の知〉でなければならない。このいわゆる〈否定道via negativa〉または〈否定神学apophatikē theologia〉は以後ながく神秘神学の方法を規定した。
→新プラトン主義
中世のスコラ神学からもクレルボーのベルナールやボナベントゥラなど多くの神秘主義者が出た。ことにベルナールは意志の合致と愛による神との合一という,偽ディオニュシウスの思弁的な道とは異なった雰囲気の神秘主義を説いた。愛の合一は,魂と言(神の子)との霊的婚姻と考えられ,この考えは以後とくにビンゲンのヒルデガルトなどの中世女流神秘家によって体験的に深められていった。
13世紀末,14世紀初めになるとエックハルトを中心とするドイツ神秘主義の運動が起こり,近世初頭にいたるまで大きな直接的影響を与えた。エックハルトは神秘的合一のうちでさらに神の本質にまで透入し,純なる〈一〉との一,〈一の一なる一ein einic ein〉に徹しようとする。彼は神の本質を人間に対向した人格的な神から区別して神性と呼び,いっさいの規定を超えた絶対の無とした。魂は徹底的な無相化--神の表象すらも払拭されねばならない--と離脱によって,神性の無に透入する。このことは同時に魂がそれ自身の〈根底Seelengrund〉に還ることであり,そこから絶対自由の生,〈何故なき生〉が生きられる。
→ドイツ神秘主義
16世紀になると,宗教改革に反応したカトリックの側の改革運動として,アビラのテレサや十字架のヨハネなど,スペイン神秘主義といわれる運動が起こってくる。テレサによると,絶対受動的観想contemplatio passivaにおいて霊魂の最深処〈霊魂の水晶宮〉は直接に聖霊に満たされる。遠方の水源から管を引いて徐々に恩寵の水が霊に注入されるのではなく,その水源に直接に霊がつけられるのである。このような神秘体験はテレサにとって同時に現実への的確で活力ある実践の源にもなった。他面,テレサの心理内省的能力は,神秘体験の心理的側面を明らかにする克明な資料を残している。
その後,神秘主義は,一般の啓蒙主義およびプロテスタントの正統主義への硬化に反対して起こった17世紀末から18世紀にかけての敬虔主義の運動のうちにあらわれてくる。この運動はやがてゲーテやシュライエルマハーなどに始まる精神的展開を促す一つの契機ともなった。シュライエルマハーによれば宗教の本質は〈宇宙の直観〉〈無限なるものに対する感覚〉である。
→敬虔主義
執筆者:上田 閑照
ルネサンス以降の西欧の神秘主義は,時代精神にふさわしく叡智と神秘体験のかかわりに注目した。知識を超えた知識,すなわち〈無知の知docta ignorantia〉によって〈反対の一致coincidentia oppositorum〉たる神を認識しようとしたニコラウス・クサヌスや,理性を重要視したスピノザがその代表者である。したがって,この潮流は太古の叡智を再発見するオカルティズムとも重なり,エジプトやギリシアの神秘哲学を再興するフィチーノらのヘルメス思想を経由して,J.ディーやJ.V.アンドレーエによる薔薇十字思想(薔薇十字団),マルティネス・ド・パスカリやサン・マルタンを代表とするマルティニスムなどへ分離発展した。一方,知よりもむしろ愛の実現をめざす瞑想的・超絶的な旧来の神秘主義は,J.ベーメやスウェーデンボリにより近代へと引き継がれた。そして19世紀にはグノーシスの復活をめざしたキングズフォードAnna Bonus Kingsford(1846-88),ブラジルのマクンバ(ウンバンダ)形成に多大な影響を与えたカルデックAllan Kardec(1804-69),スウェーデンボリの後継者とされたデービスAndrew Jackson Davis(1826-1910)などの出現を見た。また,神秘的な信仰治療を行う霊能者の活動にも顕著な例が生じ,クリスチャン・サイエンスのM.B.エディや,マリア信仰にもとづく治療を実践したバントラスEugène Vintras(1807-75)などがあらわれた。しかも彼らの活動を通じ神秘主義は大衆にも迎えられるものとなり,カルトへの道を進んでいる。
一方,神の導きによる受動的神秘体験を正統とする傾向にあったキリスト教神秘主義に対し,スーフィズムや密教など東洋の神秘主義は,より能動的な自己改革をめざす行(ぎよう)を有し,さらに導師を通じて秘儀に近づくという具体的な修行システムをも備えていたため,19世紀以降世界的な注目を集めた。インド哲学を支柱とした神智学はその一例である。師弟の共同生活の中で各人の内にある魂の枠を破ることをめざす神秘主義は,それゆえにこれら共同体建設をめざす運動の主軸ともなる。カイザーリングの〈知恵の学園Schule der Weisheit〉,H.フォーゲラーやリルケが集ったウォルプスウェーデWorpswedeの芸術家コロニー,ヘッセやクロポトキンらが身を寄せたモンテ・ウェリタMonte Verita(〈真理の山〉の意。この近郊のアスコナもユングなどが集ったエラノス会議の開催地として知られる)などを代表とするヨーロッパでの共同体建設,ならびにタゴールやオーロビンドSri Aurobindo(1872-1950)をはじめとするインドでのそれ,さらにまたアメリカ各地のユートピア建設へと結びついた。トランセンデンタリズムもそうした神秘主義運動の一形態と考えられるし,日本の白樺派の主導による〈新しき村〉運動なども,上記の全世界的な動向と無縁ではない。
神秘主義は現代に至って,哲学,心理学や宗教学,美学などとの関連で新しい意味をにないはじめた。哲学におけるS.ベイユやハイデッガー,心理学におけるS.フロイト,W.ジェームズ,ユング,宗教学におけるエリアーデらの業績は多少とも神秘主義と密接な関係にある。さらに歴史学においてはM.マレーやF.A.イェーツらが従来〈闇の文化〉として無視されつづけた異教的民俗や神秘思想の意義を発掘し,新たな展望をもたらした。そして現在ではインド哲学や道教の宇宙観・物質観を,量子力学や相対性理論などの最先端科学と対比させ,直観と論理の類似性に関心を示す科学者ボームDavid Bohm(1917-92)やカプラFritjof Capra(1939- )などが出ている。
しかし,近代から現代において最もめざましい現象は,神秘主義が芸術に及ぼした大きな影響であろう。まず,イギリスの聖霊主義運動に加わったW.ブレークは,霊視ないしは瞑想により得られた寓意図を描いてラファエル前派などの心霊的な画風に先鞭をつけた。同時にドイツ・ロマン派のO.ルンゲやC.G.カールスは大宇宙と個人との直接的交感をテーマとして壮大なビジョンを呈示した。音楽ではとくに《魔笛》においてフリーメーソンの秘儀を表現したといわれるモーツァルト,北欧神話の象徴性に霊感を得たW.R.ワーグナーなどが挙げられよう。次いで19世紀末から20世紀にかけては,神智学がスクリャービンの音楽,カンディンスキーやモンドリアンの絵画に無視できない影響を与えており,抽象芸術を発展させる力の一源泉となった。J.ペラダンの提唱により薔薇十字思想を信奉する芸術サロンが形成され,E.サティは音楽に,G.モローやルオーなどは美術にその主張を託したことも注目される。なお,F.クノップフらのベルギー象徴派もこの流れに属する。またチベット密教に深く影響されたN.レーリヒは,東洋の神秘思想を寓意的に表現した無数のテンペラ画を制作した。
文学においても神秘主義は多くの実践者,同調者を見いだし,19世紀を通じてケルト文学の復興,ドイツ・ロマン主義,フランス象徴主義など重要な運動にかかわり合った。彼らはほぼ共通して,現実の宇宙ないし世界と信じられているものはもっぱら観念から生じており,したがって真の現実というべきものは〈魂の現実〉のみであると主張し,夢想や神秘体験を重視した。その第一世代ともいえる人々はフランスのベルトラン,ネルバル,バルザック,イギリスのブレーク,コールリジ,P.B.シェリー,ドイツのノバーリス,ゲーテ,J.C.F.シラー,アメリカのポーやホーソーンなどである。続いて言語に潜む神秘な力やオカルティズムに関心を示す第二世代の作家たちがあらわれるが,これにはマラルメ,ランボー,ボードレール,ビリエ・ド・リラダン,ユイスマンスなどを挙げることができよう。20世紀に入ってからはW.B.イェーツ,メーテルリンク,日本の宮沢賢治や泉鏡花が神秘的世界観に立脚して創作を行った。
ところで現代の神秘主義は,さらに多くの潮流を取りこんでいる。その第一は,禅やヨーガ,また東洋武術の世界的流行と,それに関連して生じた神秘思想への関心の増大である。人間疎外が進む現代文明の中で,心と体を分離して考えず,自然との一体化を目ざす東洋神秘主義に健康と素朴な幸福を求める安直な風潮も含みながら,この動きは自給自足体制や生態学的原理にもとづくコミューン建設熱を助長し,またアメリカを中心としてカルト熱をあおった。それに続き,LSDやメスカリンの使用が物質と精神の二元性,意識の日常性を超える手段として注目を集め,A.ハクスリー,H.ミショー,ワッツAlan Watts(1915-73),カスタネダCarlos Castaneda(1931-98)などがその新たな神秘体験に挑んだ。現代の若者文化が示すドラッグやヨーガへの関心は,現代文明と既成宗教への批判と反発を含み,そこから神秘主義との接点が生じたといわれる。そしてこのような動向は1960-70年代にかけて社会現象(対抗文化)の一つとなりアメリカ,フランス,オランダなどでは若者による反体制運動へと発展している。これら現代の実践的な神秘主義は,大勢において支持されていく方向にあるように見えるが,一方で単純な〈反近代〉の心情・行動や逃避と結びつきやすいともいえる。
→オカルティズム →グノーシス主義 →ヘルメス思想 →ユートピア
執筆者:荒俣 宏
神秘主義の特徴づけや宗教史における確認がほとんどの研究者において大同小異であるのに対して,その意義や評価に関しては見解が大きく分かれている。そしてこの事態そのものがまた,神秘主義という現象の特質と問題性を照らし出しているといえよう。評価は大きく次の四つのグループに分けることができる。
(1)宗教的見地から神秘主義の意義を認めるもの。まず,神秘主義を宗教の普遍的な核心そのものとする見方がある。次に,神秘主義と預言者的敬虔(または信仰)を宗教の二つの基本形態として,両者をそれぞれ一元論と二元論,超倫理的と倫理的,非歴史的・個人主義的と歴史的・共同体形成的,寛容と非寛容というように,神と人間と世界の連関全体にわたって類型化する見方がある。さらに,神秘主義を真の宗教性への一段階,必然的ではあるが止揚さるべき一段階,あるいは一つの契機とする見方がある。それによれば,絶対者に触れるという局面の強調拡大としての神秘主義は高次の象徴的人格主義の始めでなければならない。しかしまた,その見方とは逆に,神秘主義のうちに宗教の究極的可能性の実現を見る見方がある。神秘主義の脱自的合一において魂が究極的に開かれ,生命の創造的エネルギーの最後の飛躍がある。そこに人間主体の自由な自主性と神的生命の根源性との究極的な統一が生起する。
(2)神秘主義を特定の歴史的条件のもとで既成宗教内に成立する歴史的現象として評価する見方がある。それによれば,既成宗教が教義や儀礼や戒律などの面で形式化・外面化してきた場合,あるいは教会組織の世俗化や神学における合理主義的傾向が強まってきた場合,しばしば歴史的宗教のうちから宗教的生命がその固定性を破って〈生きた源泉〉に直接還ろうとする運動が起こるが,そこに神秘主義が成立する。神秘主義の非制度的非教義的直接性・内面性は,その母体となった既成宗教に対して還源的革新という歴史的意義をもつ。それはまた,神秘主義がその宗教の既存の教会からしばしば異端視されるゆえんでもある。
(3)以上あげた見方とは異なって,神秘主義を宗教の空想的,あるいは頽落的形態とし,それに対してまったく否定的な態度をとる見方がある。それによれば,人間と神との対向の止揚が求められるところでは,人格性が解消されるばかりでなく,人間現実の有限性も絶対者の絶対性もともに誤認されている。あるいは,絶対者と人間との非連続の緊張の緩んだところに神秘主義が生まれる。合一への修行も,人間の自己救済の空しい試みにすぎない。信仰の立場からのこのような宗教的批判とならんで,人間経験の基本構造についてのある特定の哲学的理解からする神秘主義の基本的な否定がある。すなわち,すべての経験は経験するものとされるもの,主観と客観との区別を根本前提としているゆえに,人間と神との合一,主観と客観との絶対的統一そのものを直接に経験することは元来不可能である。神秘的合一なるものはリアルな経験ではなくて,むしろ情緒の異常な一時的高揚にすぎない。ここからさらにまた,神秘主義を精神病理学的現象とする見方も出てくる。
(4)神秘主義に対してなされてきた評価は以上のようにさまざまであるが,上述の問題の枠を超えて,現代の精神状況のうちで神秘主義に新しい意義が見いだされつつある。今日,交通通信技術の飛躍的な進歩によって可能になった世界の狭さの中で諸宗教が全面的に出会いつつあるが,世界の狭さほどには人類の精神的相互理解は進んでいない。むしろ表面的な狭さのゆえに忘れられた異文化間の異質性は,特定の社会的政治的状況においてかえって激発され,いわゆる宗教戦争にまで至ることが現代世界でも少なくない。それに対して,諸宗教の宗教としての相違にもかかわらず,各宗教の内に成立してきた神秘主義はそれ自身驚くほどの類似性同質性を示している。それとともに,歴史的に形成された諸宗教の特殊性を神秘主義は絶対の無形無相性によって相対化することができる。そこに諸宗教にとって相互理解の接点としての神秘主義の大きな意義がある。さらに現代文明の帰趨の中で神秘主義が広く注目されつつあるのは,神秘主義の含む諸契機が現代文明の陥った病弊ともいうべき事態に対して原理的な解毒作用を及ぼしうると予感されるからであろう。例えば,限りなく造り出される物の豊かさ--しかも同じ地球上には他方極度の貧窮があるにもかかわらず--への耽溺に対して神秘主義的禁欲無所有のうちに新しい自由への道が予感される。また,人間が造り出した技術世界の中で人間自身が機械化するという悪循環からの脱却の道が神秘主義の強調する魂(心),〈内なる無限の開け〉としての魂のうちに予感される。あるいはまた,知性の肥大による世界と自己との抽象化・希薄化に対して,(とくに東洋の)神秘主義の示す身体による行が実在感の回復への道として予感される。しかし,現代文明のただ中での神秘主義への共感が単なる情緒的反動にとどまらないためには,神秘主義の説くところを実存的に遂行しつつ,生の包括的な連関の中で神秘主義と合理性との一つの統合を実現してゆかなければならない。
執筆者:上田 閑照
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
神、最高実在、宇宙の根本理法など、それぞれの宗教でたてられる究極的・絶対的なるものへ自己が直接に合一、透入する体験を「神秘体験」という。神秘体験に至上の救済価値を認め、これを中心として独特の思想や行動を展開させるような、宗教の体系ないし形態が「神秘主義」とよばれる。
[脇本平也]
神秘体験は、尋常普通の経験とは類を異にした特別な宗教体験である。英語のmysticismはギリシア語myein(目または口を閉じるの意)からきたといわれるように、この体験は、主観―客観の対立において見たり述べたりする日常的・合理的認識の領域を超えている。そのゆえに神秘と称される。たとえば、キリスト教では神との合一、霊的結婚、見神(けんしん)などといわれ、禅仏教では豁然大悟(かつぜんたいご)、身心(しんじん)脱落、見性(けんしょう)などといわれる体験がそれである。
通常のことばでもっては言い表しがたく、その意味で秘密に満ちている。しかし体験者自身にとっては、直観的にきわめて確実なできごとであり、持って回った論証を必要としない。自己は直接に、なにか無限の大きさと力とをもつ確かなものに触れる。それによって従来の小さな自己の殻は融(と)け去り、脱我すなわちエクスタシーに導かれる。魅力に満ちた鮮烈な感銘のなかで、いまだかつて知らなかった、より高く、かつより深い生命の境地が開けてくる。魂の根底が揺り動かされて、世界は新しい光に照らされ、この体験を契機として人生の意味は一変する。存在の奥義(おうぎ)がここに初めて開示されるのである。個々の神秘体験は、宗教により、時代により、人によって、それぞれ異なった具体相を示すが、他方、おおよそ以上のような基本的特徴が、神秘体験一般に共通してみられる。W・ジェームズはそれを、(1)言い表しようがないということ=その性質は自分で直接に経験しなければわからない、(2)認識的性質=真理の深みを洞察する、(3)暫時性=神秘的状態は長い時間続くことはできない、(4)受動性=自分の意志は働くことをやめてしまって、ある高い力によってつかまれるかのように感じる、の4項に整理して説明している。
神秘体験を当事者が自覚的に反省して、ことばによって表現し、解釈説明しようとする努力から「神秘思想」が形成されてくる。これはもともと言語を絶する体験であるが、これをなんとか言い表そうとするために、神秘主義に特徴的な表現形式が用いられることになる。古代インドの聖典『ウパニシャッド』の「然(しか)らず、然らず」に代表されるような否定的表現、「光り輝く闇(やみ)」「いっさいを含んだ無」などの矛盾逆説による表現、「魂の火花」「霊の水晶宮」といった詩的象徴的表現などである。こうした表現上のくふうを通して体験が説明され、独自の論理によって組織的に体系化されていく。そこに神秘思想、神秘神学、神秘哲学などが、神秘主義の重要な構成要素の一つとして成立する。
神秘思想は、体験の当事者の反省的自己理解を出発点として形成され始めるが、いったん形成された思想は、ついで、人々を神秘体験に導くための指針としての役割を果たすものとなる。体験を待望する者に対して、あらかじめその内容や進むべき方向を指示し、内的に準備の状況を整えさせる。しかし、神秘体験それ自体は、各自が自ら自証するほかない性質のものである。そこで、思想による体験への接近と並行して、さまざまな形での「神秘修行」が試みられることになる。繰り返して身心に一定の規整を加える、いわゆる行(ぎょう)のくふうである。行が進み、境地が展開していく過程は「神秘階梯(かいてい)」とよばれて、段階的に示されるのが一般である。浄化、集中、瞑想(めいそう)、合一、脱我、寂静(じゃくじょう)などがそれぞれの宗教によっていくつか組み合わされて構成される。こうした行の体系もまた神秘主義の重要な一要素をなしている。
[脇本平也]
神秘主義は、世界中の諸宗教のうちに、それぞれの特徴をもって位置を占めている。原始宗教におけるシャーマニズムなども、神秘主義的エクスタシーの一つに数えることができるであろう。『ウパニシャッド』における梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想は、東洋神秘主義の華ともいわれる。ここに伝統を引くヒンドゥー教にも、仏教にも、神秘主義の色彩はきわめて濃厚で、ヨーガ、禅定(ぜんじょう)、密教の修法などにその特色をみることができる。
ユダヤ教にも、カバラKabbālāとよばれる口伝(くでん)教義のうちに神秘主義の流れがあり、これにつながるハシディズムHasidism(敬虔(けいけん)主義)はM・ブーバーを通して現代の思想界にも影響を及ぼしている。
キリスト教神秘主義の源泉は、『新約聖書』におけるパウロやヨハネのキリスト体験にあるともいわれる。さらに、新プラトン主義から決定的な影響を受けて成立した偽ディオニシウス・アレオパギタ以来、いわゆる否定神学の伝統のうちに多彩な神秘家を輩出している。イスラムではスーフィズムSūfismが神秘主義の主流をなし、最大のイスラム神学者といわれるアル・ガザーリー(1058/59―1111)は、一面この流れに属する神秘家でもあった。さらには、文学者や科学者の自然観や宇宙観のうちにも、宗教的伝統とは別の神秘主義的な傾向を読み取りうる場合がある。
古今東西にわたるこうした神秘主義の諸相を相互に比較研究しようとする学問上の動向も、20世紀に入ってから顕著になってきている。インドのベーダーンタ哲学のシャンカラ(700ころ―750ころ)とドイツのキリスト教神秘主義のエックハルト(1260ころ―1327/28)との、R・オットーによる比較研究などがその一例をなしている。
[脇本平也]
『岸本英夫著『宗教神秘主義』(1958・大明堂)』▽『W・ジェイムズ著、桝田啓三郎訳『宗教的経験の諸相』(岩波文庫)』▽『H・セルーヤ著、深谷哲訳『神秘主義』(1974・白水社・文庫クセジュ)』▽『西谷啓治著『神と絶対無』(1971・創文社)』
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…ウィクリフによる聖職者の身分的特権に対する攻撃と聖書の英語訳,フス派による両種聖餐,つまり俗人信徒にもパンと並んでブドウ酒を授けよ,との要求などは,信徒の共同体としての教会の理念を示している点で,宗教改革とより深くつながるものをもっていた。 第3は,信徒個々人の魂と神との直接的な交わりを求める,内面化された信仰としての神秘主義の流れである。ドイツのエックハルトやタウラー,《イミタティオ・クリスティ》で知られるフランドルのトマス・ア・ケンピスなどに代表されるこの神秘主義は,都市の発達に支えられつつ,中世末期には広く各国の俗人社会に広まり,体制の中で形骸化した信仰生活に新しいいぶきを与えた。…
…また,動詞を派生する‐ierenをはじめ,今日でも用いられる種々の接尾辞もフランス語から借用された。一方,13~14世紀にかけて,神秘主義者たちは,本来言葉で表現することが不可能な神との一体化の体験を言葉で言い表すことを試み,その目的のために新しい語や表現を創り出した。このようにして,多くの抽象名詞が成立し,これらは,今日の哲学などの術語の基礎をなしている。…
※「神秘主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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