朝日日本歴史人物事典 「五島純玄」の解説
五島純玄
生年:永禄5(1562)
安土桃山時代の武将,肥前国五島(長崎県)の領主。次郎,修理大夫,大和守,若狭守。法名は子峰源師。宇久純尭の子。天正15(1587)年,九州に下向した豊臣秀吉に謁見し,所領の五島を安堵される。文禄1(1592)年,朝鮮出兵を命じられ,4月12日に名護屋より渡海。このとき宇久姓を五島姓に改めた。朝鮮に出陣中,疱瘡のため病没。その跡は叔父の大浜玄雅が継いだ。
(佐伯弘次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報