20世紀日本人名事典 「大橋八郎」の解説
大橋 八郎
オオハシ ハチロウ
大正・昭和期の逓信官僚,政治家,俳人 日本電信電話公社総裁;貴院議員(勅選);逓信次官。
- 生年
- 明治18(1885)年12月19日
- 没年
- 昭和43(1968)年6月4日
- 出生地
- 富山県射水郡高岡町(現・高岡市)
- 別名
- 号=大橋 越央子(オオハシ エツオウシ)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法科大学政治科〔明治43年〕卒
- 経歴
- 明治43年逓信省に入り、郵務局長、経理局長を経て、逓信次官となる。昭和11年1月岡田内閣の法制局長官となったが、2.26事件により辞職。ついで翌12年2月林内閣の書記官長兼内閣調査局長官となり、同年6月辞職。その後、日本無線電信社長、国際電気通信社長を歴任。この間、11年9月貴族院議員に勅選され、21年6月までその任にあった。20年日本放送協会会長となり、天皇陛下の終戦詔勅の録音盤を死守した。21年公職追放、26年解除。33〜40年日本電電公社総裁。傍ら4年頃から高浜虚子、富安風生に師事し、9年「ホトトギス」同人、23年「若葉」同人となり、両誌の同人会長を長く務めた。句集に「野梅」「市谷台」などがあり、没後「大橋越央子句集」が刊行された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報