朝日日本歴史人物事典 「宇都宮忠綱」の解説
宇都宮忠綱
生年:明応5(1496)
戦国時代の武将。成綱の子。母は那須氏。永正9(1512)年ごろから宇都宮氏当主として本格的に活動開始。宇都宮家から入嗣していた宿老家の芳賀・武茂・塩谷氏との結束強化に努める一方で,勢力の拡大を目指した。しかし大永6(1526)年,忠綱の発展を嫌う姉婿の下総結城政朝が忠綱の叔父芳賀興綱と結んで宇都宮領内に攻め込むにおよび,領内猿山の地で結城氏に敗れ挫折。また,この合戦で城を離れている間に宇都宮城を興綱に奪われ,壬生氏を頼って鹿沼城へ逃れた。その後奪回を目指すが,かなわぬまま不遇のうちに死去。<参考文献>市村高男「永正九年の『宇都宮錯乱』について」(『宇大史学』4号)
(荒川善夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報