デジタル大辞泉
「後燕」の意味・読み・例文・類語
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こう‐えん【後燕】
- 中国、五胡十六国の一つ。三八四年、鮮卑族の慕容垂が前秦から独立して建国し、四代、四〇九年までつづいた。都は中山。華北の東部一帯を領したが、北魏に敗れ、ついで北燕に滅ぼされた。ごえん。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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後燕
こうえん
Hou-yan; Hou-yen
中国,五胡十六国の一つ。前燕,慕容氏の一族慕容垂 (ぼようすい) の建てた国 (387~409) 。垂は前秦から独立し,中山 (河北省定県) に都して,登国9 (394) 年西燕を滅ぼし,朝鮮,中国東北部から華北一帯を領したが,翌年北魏に敗北。やがて竜城 (遼寧省朝陽) に移り,国力を回復しようとしたが内乱が多く,建始1 (407) 年には将軍馮跋 (ふうばつ) のクーデターにより,高氏出身の慕容雲が即位。しかしまもなく雲は殺され,馮が王位を奪った (→北燕 ) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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後燕
こうえん
384〜409
五胡十六国の一国
鮮卑 (せんぴ) の慕容垂 (ぼようすい) が建国。4世紀末北魏に圧迫され,5世紀初め滅んだ。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の後燕の言及
【燕】より
…やがて一族に内訌が起こり,前秦の[苻堅]に征服された。苻堅が淝水で東晋に敗れると,一族は国家再興を企て,西燕(384‐394)と後燕(384‐407)が興ったが,後燕は西燕を滅ぼし,河北,河南,山西,山東さらに遼東に及ぶ広大な帝国を建設した。しかし397年北魏が首都中山(河北省定県)に迫ると,国家は瓦解して南燕(河南,398‐410)と北[燕](407‐436)に分裂した。…
【五胡十六国】より
…しかしさらに東晋を併呑して中国再統一を実現しようとした前秦皇帝[苻堅]の夢は,淝水の敗戦でついえ去った([淝水の戦])。 華北は再び混乱におちいり,東方では慕容部が国家再建をはかり(後[燕]),前秦の本拠関中では羌族姚氏が勃興した(後[秦])。河西地方では氐族呂氏が後[涼]を興したが,やがて鮮卑の南[涼]と匈奴の北[涼]が分離し,北涼からはまた漢族の西[涼]が独立して,これらの国々は互いに抗争した。…
【慕容垂】より
…中国,後[燕]の創建者。前燕王[慕容皝](こう)の第5子。…
※「後燕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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