慕容垂(読み)ぼようすい(その他表記)Mù róng Chuí

改訂新版 世界大百科事典 「慕容垂」の意味・わかりやすい解説

慕容垂 (ぼようすい)
Mù róng Chuí
生没年:326-396

中国,後の創建者。前燕王慕容皝(こう)の第5子。宇文部を滅ぼし桓温かんおん)を破るなど勲功があり前燕宗室の中心をなしたが,実力者慕容評に忌まれて前秦に亡命苻堅に信任された。淝水(ひすい)の敗戦淝水の戦)には苻堅を助けて帰還したが,これを機に燕の再興を図り,滎陽(けいよう)に自立して燕王を称し,ついで386年(建興1)中山を首都に帝号を称した。さらに同族の建てた西燕を滅ぼし,前燕復興の志が成るかとみえたが,北魏征討の途中病没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慕容垂」の意味・わかりやすい解説

慕容垂
ぼようすい
Mu-rong Chui; Mu-jung Ch`ui

[生]咸和1 (326)
[没]永康1 (396)
中国,五胡十六国後燕の第1代王(在位 384~396)。慕容皝の第5子で,慕容儁の弟。初め前燕将軍であったが,のち前秦に亡命。前秦が淝水の戦いに敗れると燕元1(384)年自立して燕王と称した。この国を後燕という。建興1(386)年皇帝と称し,河北山東淮水(→ホワイ〈淮〉河)以北,遼東,遼西を領有した。

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