鎌倉初期の武人。父の仇(あだ)を討ったことで名高い兄弟。伊豆の豪族河津三郎祐泰(かわづさぶろうすけやす)(1145―1176)の子。兄は十郎祐成(すけなり)(1172―1193)、幼名一万(いちまん)。弟は五郎時致(ときむね)(1174―1193)、幼名筥王(はこおう)。1176年(安元2)父祐泰が伊豆の奥狩場で工藤祐経(くどうすけつね)に殺されたのち、母が曽我祐信(すけのぶ)(生没年不詳)に再嫁したので曽我氏を称した。鎌倉幕府を開いた源頼朝(よりとも)の寵(ちょう)により勢いを得ていた祐経は、曽我兄弟を殺そうと謀ったが、畠山重忠(はたけやましげただ)・和田義盛(よしもり)らによって救われた。筥王は一時、箱根別当行実(ぎょうじつ)の弟子となったが、1190年(建久1)北条時政(ときまさ)によって元服した。成人した兄弟は祐経をねらったが、仇討の機会がなかった。1193年5月、頼朝が催した富士野の巻狩りに、同行していた祐経の宿所をつきとめ、夜半風雨を冒して侵入し、祐経を殺して父の仇を討った。しかし兄祐成は宿衛の新田(にった)(仁田)忠常(ただつね)(1167―1203)に討たれ、翌日弟時致も捕らえられ殺された。
[黒川高明 2022年8月18日]
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