藤原顕綱(読み)ふじわらのあきつな

朝日日本歴史人物事典 「藤原顕綱」の解説

藤原顕綱

没年嘉承2頃(1107)
生年:生年不詳
平安時代中期の歌人。父は参議兼経,母は藤原順時の娘(弁乳母)。『讃岐典侍日記』の作者長子や歌人伊予三位の父。丹波国,讃岐国,但馬国などの地方官を勤め,正四位下に至るが,康和2(1100)年に出家讃岐入道と号する。承暦2(1078)年『内裏歌合』,嘉保1(1094)年『高陽院七番和歌合』などに出詠するとともに,法成寺宝蔵の『万葉集』を書写するなど,注目すべき文化活動を展開した。家集の『讃岐入道集』(『顕綱朝臣集』とも)には,「三十日まで祈る社のかひなくは神無月とや言ふべかるらむ」など,機知に富んだ歌が多い。『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に25首が入集している。

(加藤睦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原顕綱」の解説

藤原顕綱 ふじわらの-あきつな

?-1107ごろ 平安時代後期の官吏,歌人。
藤原兼経(かねつね)の3男。母は弁乳母(べんのめのと)(藤原順時の娘)。讃岐(さぬき),但馬(たじま)などの国守を歴任し,正四位下となる。「万葉集」の書写など,古典伝承に功があり,「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に25首がはいる。讃岐入道とよばれ,娘長子は「讃岐典侍(すけ)日記」の作者。嘉承(かじょう)2年ごろ死去。家集に「顕綱集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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