阿部重次 (あべしげつぐ)
生没年:1598-1651(慶長3-慶安4)
江戸前期の譜代大名。老中,武蔵岩槻藩主。はじめ三浦重成の養子となるが,兄正澄の死によって1628年(寛永5)嫡男として阿部に復帰。33年,松平信綱,阿部忠秋らとともに六人衆の一員として幕政に参与。38年武蔵岩槻5万9000石を領し老中となる。47年1万石加増され,48年父の遺領3万石を合わせ9万9000石となったが,51年将軍徳川家光の死に殉じた。
執筆者:藤井 譲治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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阿部重次 あべ-しげつぐ
1598-1651 江戸時代前期の大名。
慶長3年生まれ。阿部正次(まさつぐ)の次男。三浦重成の養子となるが,実兄正澄の死で実家にもどり,父の跡をつぎ寛永15年武蔵(むさし)岩槻(いわつき)藩(埼玉県)藩主阿部家2代となる。徳川秀忠,家光につかえ,六人衆(のちの若年寄),老中をつとめる。家光が死んだ慶安4年4月20日堀田正盛らとともに殉死した。54歳。
【格言など】天てらす月の光ともろともに行くすゑすずしあけぼのの空(辞世)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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