黒川藩(読み)くろかわはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒川藩」の意味・わかりやすい解説

黒川藩
くろかわはん

越後(えちご)国(新潟県)蒲原(かんばら)郡黒川胎内(たいない)市)に陣屋を置いた譜代(ふだい)小藩。1万石。初代藩主松平柳沢)吉保(よしやす)の四男経隆(つねたか)。1724年(享保9)閏(うるう)4月に甲斐(かい)国から移された。2代里済(さとずみ)以後、里旭(さとあきら)、保卓(やすたか)、信有(のぶあり)、光被(みつひ)、光昭(みつてる)、光邦(みつくに)と続き、1869年(明治2)版籍奉還。藩主は江戸定府(じょうふ)。陣屋に5名の藩士が勤め、黒川村地主伊藤家(十人扶持(ぶち))の協力を得て統治した。領地は、村上藩時代に打ち出された新田1390石を含み、42か村の支配地は山間村落が多く、当初から財政困難であった。1871年廃藩、黒川県を経て新潟県に編入された。

[中村義隆]

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世界大百科事典(旧版)内の黒川藩の言及

【柳沢氏】より

…その子吉里は,1724年(享保9)大和郡山城に移り,以後明治に至る(郡山藩)。分家として吉保の四男経隆の越後黒川藩1万石,五男時睦(ときちか)の越後三日市藩1万石がある。維新後は本家のみ伯爵,他は子爵。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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