太子講 たいしこう
- 山川 日本史小辞典 改訂新版
- (1)聖徳太子の忌日に行われる法会。法隆寺では,毎年または別当任中一度,あるいは50年ごとの2月22日(現在は3月22日)の太子講を聖霊会(しょうりょう…
こう‐よう〔カウヤウ〕【孝養】
- デジタル大辞泉
- [名](スル)子が親を大切に養うこと。きょうよう。「孝養を尽くす」[類語]孝行・親孝行・親思い
きょう‐よう〔ケウヤウ〕【▽孝養】
- デジタル大辞泉
- 1 親に孝行を尽くすこと。こうよう。「母への―に生きながらえるみちもあるが」〈谷崎・盲目物語〉2 亡き親のために供養をして、ねんごろに弔うこと…
こうよう 孝養
- 小学館 和伊中辞典 2版
- ¶父母に孝養を尽くす|ade̱mpiere i [ai] propri doveri filiali
kṓyṓ3[koó], こうよう, 孝養
- 現代日葡辞典
- O dever [A piedade] filial. [S/同]Kṓkō(+).
きょう‐よう(ケウヤウ)【孝養】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 ( 「きょう」は「孝」の呉音 )① 親に奉仕、孝行すること。こうよう。[初出の実例]「いかでこの舌疾さ、やめ侍らむと、思ひさわぎたるも、…
孝養 こうよう
- 日中辞典 第3版
- 孝顺xiàoshun,孝敬xiàojìng.~孝養を尽くす|尽jìn孝.
こう‐よう(カウヤウ)【孝養】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙① 孝行を尽くしてよく親を養うこと。きょうよう。[初出の実例]「果安孝二養父母一」(出典:続日本紀‐和銅七年(714)一一月戊子)「孝養の…
こうよう【孝養】
- プログレッシブ和英中辞典(第4版)
- filial duties父母に孝養を尽くすfulfill one's duties to one's parents/care for one's parents devotedly
太子 tàizǐ
- 中日辞典 第3版
- [名]皇太子.立~/皇太子を立てる.→~太子党/.
太子[町] (たいし)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 大阪府南東部,南河内郡の町。人口1万4220(2010)。金剛山地北部の二上山西斜面と石川流域の平たん地よりなり,東は奈良県に達する。古代に難波と飛…
たい‐し【太子・大子】
- 精選版 日本国語大辞典
- [ 1 ] 〘 名詞 〙① 古代中国の天子や諸侯の世継ぎ。嫡男。[初出の実例]「大将の〈略〉白虹、日を貫けり。太子、懼ぢたりと、いとゆるらかにうち誦し…
たいし【太子】
- 改訂新版 世界大百科事典
【太子】たいし
- 普及版 字通
- 王の嫡子。字通「太」の項目を見る。
太子[町] (たいし)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 兵庫県南西部,揖保(いぼ)郡の町。1951年斑鳩(いかるが)町と太田村,石海(いわみ)村が合体,改称。55年竜田村を編入。人口3万3438(2010)。播…
たい‐し【太子】
- デジタル大辞泉
- 1 皇位を継ぐものと定められている皇子や王子。東宮とうぐう。ひつぎのみこ。2 古代中国の、天子や諸侯の世継ぎ。「聖徳太子」の略。[類語]皇太子…
コニセシム【太子】
- デジタル大辞泉
- 《古代朝鮮語》三韓の皇太子。コンセシム。
たいし【太子】
- デジタル大辞泉
- 大阪府南東部、南河内郡の地名。二上山にじょうさんの西麓で、小野妹子おののいもこの墓、聖徳太子の廟びょうなどがある。兵庫県南西部、揖保いぼ郡…
コンセシム【太子】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 =コニセシム[初出の実例]「百済太子(こにせしむ)(〈別訓〉コムセシム)淳陀薨(みうせ)ぬ」(出典:日本書紀(720)継体七年八月(寛文版…
太子 たいし
- 日中辞典 第3版
- 太子tàizǐ,皇太子huángtàizǐ.
コニセシム【太子】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 ( 古代朝鮮語で、「コニ」は大の意、「セシム」は王子の意か ) 百済の王子、皇太子。コンセシム。[初出の実例]「秋八月癸未の朔戊申に百…
こく‐たいし【黒太子】
- デジタル大辞泉
- エドワードの異称。黒い鎧よろいを着用したことから。
じょうぐう‐たいし(ジャウグウ‥)【上宮太子】
- 精選版 日本国語大辞典
- [ 一 ] 聖徳太子の別称。[初出の実例]「昔上宮太子と申聖いましき」(出典:観智院本三宝絵(984)中)[ 二 ] 謡曲。脇能物。廃曲。朝臣(あそん)が天王…
しょうめい‐たいし(セウメイ‥)【昭明太子】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 中国、南北朝の梁の武帝の皇太子。姓は蕭。名は統。字(あざな)は徳施。昭明は諡(おくりな)。幼少から五経をあまねく暗誦していた。長じて…
太子村たいしむら
- 日本歴史地名大系
- 大阪府:南河内郡太子町太子村[現]太子町太子春日(かすが)村の西にあり、北は古市郡通法寺(つうほうじ)村(現羽曳野市)に接する台地上に位置…
しょうとく‐たいし〔シヤウトク‐〕【聖徳太子】
- デジタル大辞泉
- [574~622]用明天皇の皇子。名は厩戸うまやど皇子。豊聡耳とよとみみ皇子・上宮じょうぐう太子ともいう。叔母推古天皇の摂政として内政・外交に尽…
太子講 (たいしこう)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 聖徳太子を讃仰する宗教講,または大工,左官など建築関係の職人たちが,それぞれ同業者集団として結束をはかるため聖徳太子を守護神として行う職業…
たいしざん【太子山】
- 改訂新版 世界大百科事典
しょうめいたいし【昭明太子】
- 改訂新版 世界大百科事典
たいし‐どう(‥ダウ)【太子堂】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 聖徳太子をまつる堂。太子自作と伝えられる一六歳の時の太子像を安置した大阪の四天王寺聖霊院をはじめ、全国各地にある。[初出の実例]「…
たいし‐ひんかく【太子賓客】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 ( 「だいしひんかく」とも ) 東宮学士(とうぐうがくし)の唐名。[初出の実例]「彼の唐太子賓客白楽天、潯陽江の辺にやすらひ給けむ其古を…
はい‐たいし【廃太子】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 皇太子を退位させること。また、その皇太子。[初出の実例]「廃太子事 九人可勘之」(出典:大鏡(12C前)巻二・裏書)
聖徳太子 (しょうとくたいし) 生没年:?-622(推古30)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 目次 聖徳太子の伝承6世紀末~7世紀前半の政治家,仏教文化推進者。用明天皇の皇子で母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后(欽明天皇皇女)…
たいし‐まげ【太子×髷】
- デジタル大辞泉
- 聖徳太子像にみられる角髪みずらのように、髪を左右に分け、両耳のあたりで輪に結んだ髪形。
太子信仰 (たいししんこう)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 聖徳太子に対する種々な信仰をさす。聖徳太子の威徳については早くから伝説化され,各時代,さまざまな形であがめられた。すでに《日本書紀》のなか…
昭明太子 しょうめいたいし
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- →蕭統
聖徳太子 しょうとくたいし
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]敏達3(574).大和[没]推古30(622).2.22. 大和古代,推古朝の摂政。厩戸皇子,豊聡耳 (とよとみみ) 皇子といい,また上宮太子とも称する。用明天皇…
たいしみち【太子道】
- 改訂新版 世界大百科事典
阿佐太子 あさたいし
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 古代,推古5 (597) 年に朝貢した百済王の子といわれるが,百済の史料にはない。『聖徳太子伝暦』に,彼は来朝して聖徳太子を拝し,観音菩薩の化身だ…
昭明太子 しょうめいたいし
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 501〜531南北朝時代の梁 (りよう) の武帝の長子博学で詩文に長じ,『文選 (もんぜん) 』の編者。
太子町たいしちよう
- 日本歴史地名大系
- 兵庫県:揖保郡太子町面積:二二・六二平方キロ(境界未定)龍野市によって南北に分断された揖保郡の南東部に位置する。北は龍野市・姫路市、東から…
あさ‐たいし【阿佐太子】
- デジタル大辞泉
- 百済くだらの王子。推古天皇5年(597)来朝し、聖徳太子に会うや救世くせ観音の化身であると合掌したと伝えられる。
くろこまたいし【黒駒太子】
- 改訂新版 世界大百科事典
くろたいし【黒太子】
- 改訂新版 世界大百科事典
太子[町]【たいし】
- 百科事典マイペディア
- 兵庫県揖保(いぼ)郡,揖保川支流の林田川流域の播磨(はりま)平野中部にある町。米作を行い,播磨臨海工業地帯の一部として電気器具などの工場も進出…
たいし‐こう【太子講】
- デジタル大辞泉
- 聖徳太子を奉賛する講。江戸時代には大工など職人の間に広まった。
あさ‐たいし【阿佐太子】
- 精選版 日本国語大辞典
- 百済(くだら)の王子。推古天皇五年(五九七)来朝。聖徳太子に会うと、救世観音(ぐぜかんのん)の化身であると合掌し、太子もまた、わが弟子であると…
聖徳太子 しょうとくたいし
- 山川 日本史小辞典 改訂新版
- 574~622.2.22用明天皇の皇子。母は皇后穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女。厩戸(うまやど)皇子が実名と考えられるが,住んでいた宮の名称や仏教と…
昭明太子 しょうめいたいし Zhao-ming tai-zi
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]中興1(501)[没]中大通3(531)中国,六朝時代の梁の皇太子で文学者。姓名は蕭統。昭明太子は諡。梁の武帝の長子。聰明で仁愛に富み,幼少のときか…
太子伝【たいしでん】
- 百科事典マイペディア
- 聖徳太子の伝記。太子に対する畏敬(いけい)の念は,平安時代以降多種の伝記の作成をうながした。四天王寺の障子絵に描かれたという,いわゆる《障子…