アメリカンバレエシアター(英語表記)American Ballet Theater

改訂新版 世界大百科事典 の解説

アメリカン・バレエ・シアター
American Ballet Theater

ニューヨークを中心に活躍するバレエ団。1937年創立モルドキン・バレエ団の残党を中心として,チェーズLucia ChaseとプレザントRichard Pleasantが39年秋に創立。当初は単に〈バレエ・シアター〉と称し,40年1月ニューヨークのラジオ・シティ・センターで4週間にわたる旗揚げ公演を開いた。フォーキンの《レ・シルフィード》,モルドキンMikhail M.Mordkinの《春の声》,ドーリンAnton Dolinの《クインテット》などで,11人の振付師,85人の舞踊手で21のレパートリー上演。このうち6作品が世界初演であった。ダンサーとしてはチェーズ,ドーリン,W.ダラー,N.ケイなどがいた。11月と12月はシカゴ歌劇場の座付バレエ団となったが,特定の芸術監督を置かず,当初はドーリン,チューダー,ローリングEugene Loringの3人を座付振付師にした。46年のヨーロッパ公演を第1回として,海外公演も多く,60年9月,ソ連を訪問した最初のアメリカのバレエ団になった。1957年に現在の名称となり,60年末にはワシントン本拠を移したが,成功せずにいったん解散,64年秋ニューヨークに戻った。しかし71年,ワシントンのケネディ・センターの公式バレエ団になった。1950年末から1シーズンだけメトロポリタン歌劇場の座付バレエ団になったこともあるが,現在は独立のバレエ団として同歌劇場を本拠としている。バレエ団自体の個性が強くないのはレパートリーが必ずしも体系的でないためであるが,近年は国際スターの客演も多い。バレエ史上に残る名作の〈博物館〉志向もあって,《白鳥の湖》《ジゼル》から,ディアギレフの《ペトルーシカ》《薔薇の精》のリバイバルもするが,新作の委嘱にも心がけている。80年9月以降,ソ連からの亡命舞踊家バリシニコフMikhail Baryshnikovが芸術監督に就任した。ダンサーとしてはソ連からの亡命者N.マカロワのほか,F.ブホネス,G.カークランド,C.グレゴリーらがいる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアメリカンバレエシアターの言及

【バレエ】より

…このバレエ団は,バランチンのストーリーのない〈抽象バレエ〉を多く上演しており,これは新しい時代の新しいバレエとして注目され,その影響は全世界に及んでいる。また39年〈バレエ・シアター(のちのアメリカン・バレエ・シアター)〉も結成され,前者に対抗するバレエ団として活躍している。このバレエ団は前者に比べると,より広範な演目をもち,20世紀前半に活躍したいくつかの〈バレエ・リュッス〉の傾向を踏襲するものといえる。…

※「アメリカンバレエシアター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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