旺文社世界史事典 三訂版 「ファン=ボイ=チャウ」の解説
ファン=ボイ=チャウ
Phan Boi Chau
ヴェトナムの民族運動家
ヴェトナム北部ゲアン省の生まれ。1885年以来のバンタン蜂起に参加。敗北後は1904年に『琉球血涙新書』を著して亡国の悲惨を訴え,嘉隆帝の直系であるクォン=デ侯を擁してヴェトナム維新会を結成,日本の明治維新型の立憲君主制をめざす反仏運動を推進した。翌年日本に渡って『ヴェトナム亡国史』を著し,亡命中の梁啓超 (りようけいちよう) や在野の大隈重信,犬養毅らに援助を求めると同時に,ヴェトナムの青年を日本に留学させる東遊(ドンズー)運動を推進。しかし日仏協約にもとづいて日本政府はこれを弾圧し,失望したファン=ボイ=チャウは1912年,辛亥革命後の広東でヴェトナム光復会を結成して,共和制の実現と武力革命路線に転換したが,1914〜17年にかけて投獄された。1924年には中国国民党に範をとったヴェトナム国民党設立を計画するが,上海で再び逮捕され,死去するまでフエに軟禁された。
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