コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

アーノルド アーノルド Arnold, Benedict

16件 の用語解説(アーノルドの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アーノルド
アーノルド
Arnold, Benedict

[生]1741.1.14. ノルウィッチ
[没]1801.6.14. ロンドン
アメリカ独立革命期の軍人。准将。緒戦のタイコンデロガの攻撃に参加。カナダ遠征軍を指揮。 1777年サラトガの戦いで戦功を立てたが,79年イギリス側に寝返ったため,彼の名は裏切者の代名詞となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

アーノルド
アーノルド
Arnold, Sir Edwin

[生]1832.6.10. ケント,グレーブズエンド
[没]1904.3.24. ロンドン
イギリスの詩人,ジャーナリストインドデカン大学の学長をつとめ,帰国後『デーリー・テレグラフ』紙の編集者。仏陀を主題とする詩『アジアの光』 The Light of Asia (1879) などがある。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

アーノルド
アーノルド
Arnold, Henry Harley

[生]1886.6.25. ペンシルバニア,グラドウィン
[没]1950.1.15. カリフォルニア,ソノマ
アメリカの陸・空軍軍人。 O.ライトから航空術の訓練を受け,第1次世界大戦中は陸軍航空隊の将校となった。その後独立した空軍の必要を力説。第2次世界大戦中,アメリカ陸軍航空隊司令官。 1944年に陸軍元帥。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

アーノルド
アーノルド
Arnold, Sir Malcolm Henry

[生]1921.10.21. ノーサンプトン
[没]2006.9.23. ノリッジ
イギリスの作曲家,指揮者,トランペット奏者。 1941~44年イギリス王立音楽大学で学ぶ。 1945~48年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席トランペット奏者を務めた。メンデルスゾーン賞を受賞後,イタリアに留学して作曲と指揮法を学んだ。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

アーノルド
アーノルド
Arnold, Matthew

[生]1822.12.24. ミドルセックス,レールハム
[没]1888.4.15. リバプール
イギリスの詩人,批評家。長年視学官 (1851~83) をつとめ,またオックスフォード大学詩学教授 (57~67) として盛名をはせた。処女詩集『迷える浮かれ者』 The Strayed Reveller,and other Poems,by A. (49) 以来,スイスを舞台にした一連の悲恋の詩をはじめ,『エトナ山上のエンペドクレス』 Empedocles on Etna,and other Poems (52) ,『学者ジプシー』 The Scholar-Gypsy (53) などの詩において,現実と理想の間に引裂かれた心を独特のペーソスをもって歌ったが,1860年代からは批評家としての活動に主力を注ぎ,『批評論集Essays in Criticism (2巻,65,88) に代表される文芸批評と『教養と無秩序』 Culture and Anarchy (69) ,『文学とドグマ』 Literature and Dogma (73) にみられる「教養の使徒」としての文明批評を広い視野のもとに行い,今日の総合的批評の先駆者となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

アーノルド
アーノルド
Arnold, Thomas

[生]1795.6.13. イーストカウズ
[没]1842.6.12. ウォリックシャー,ラグビー
ラグビー校の有名校長。イギリスのパブリック・スクールに甚大な影響を与えた教育家。詩人・批評家 M.アーノルドの父。オックスフォード大学コルプス・クリスティ・カレッジで学び,1815年同大学オリエル・カレッジのフェローに選任された。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

アーノルド
アーノルド
Arnold, Vladimir Igorevich

[生]1937.6.12. ウクライナソビエト社会主義共和国,オデッサ
[没]2010.6.3. フランス,パリ
ソビエト連邦の数学者。力学系,特異点理論(→特異点)など幅広い分野で重要な業績をあげた。モスクワ大学アンドレイ・N.コルモゴロフのもとで学び,1961年に博士号を取得。1965年モスクワ大学教授に就任した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

アーノルド
アーノルド
Arnold, Eve

[生]1912.4.21. アメリカ合衆国,ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]2012.1.4. イギリス,ロンドン
アメリカ合衆国生まれの報道写真家。映画の撮影現場でのスターの素顔をとらえた写真で知られ,特にマリリン・モンローの写真で有名。ニューヨークで写真を学び,1951年からフリーランスの写真家として写真家集団マグナム・フォトに参加,1957年に正会員

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

アーノルド(Arnold)

(Thomas~)[1795~1842]英国の教育家。古典学偏重を廃し、数学や近代語導入などの教育改革を行った。
(Matthew~)[1822~1888]英国の詩人。批評家。の長男。主著「批評論集」「教養と無秩序」。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

アーノルド

英国の詩人,評論家。教育家T.アーノルドの子。《ドーバー海岸》《学者ジプシー》などの詩で知られるほかに,《ホメロス翻訳論》(1861年),《文芸評論》(1865年,1888年)などの古典主義的文学論や,《教養と無秩序》(1869年),《文学と教義》(1873年)などの社会・文明評論によってビクトリア朝随一の批評家とされる。

アーノルド

英国の教育家。オックスフォード大卒。ラグビー校の名校長として知られる。宗教を根底に置く性格の鍛練を主張,また数学,近代語,近世史などを教科に採り入れて,パブリック・スクールの近代化に貢献。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

アーノルド Arnold, Sir Edwin

1832-1904 イギリスの詩人,ジャーナリスト。
1832年6月10日生まれ。インドのデカン大校長,「デーリー-テレグラフ」主筆などをつとめる。明治22年(1889)特派員として来日。各地で講演し,黒川マツと結婚。詩で東洋の生活や思想を紹介。1904年3月24日死去。71歳。オックスフォード大卒。作品に叙事詩亜細亜(アジア)の光」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

アーノルド【John Oliver Arnold】

1858‐1930
金属組織学開拓期のイギリスの冶金学者。はじめシェフィールド工業学校の,ついで大学となった同校の教授。元来は鉄鋼分析化学が専門で,合金鋼中の炭化物(Fe,Ni)3Cや(Fe,Co)3Cの組成を決定した。金属の顕微鏡組織観察法を創始したH.C.ソルビーの晩年の弟子で,鉄鋼の顕微鏡組織をとくに研究した。有名になったのは,ロバーツ・オーステンWilliam Chandler Roberts‐Austenの合金理論,F.オスモンの鋼焼入硬化理論にそれぞれ敵対する鋭い論陣を張ったことによる。

アーノルド【Matthew Arnold】

1822‐88
イギリスの詩人,文芸評論家,社会批評家。ラグビー校校長トマス・アーノルドの長男。ウィンチェスター・カレッジ,ラグビー校を経てオックスフォード大学ベーリオル・カレッジ入学(1841),オーリエル・カレッジのフェロー(1845)。ランズダウン卿秘書(1847)となり,その縁で教育視学官(1851‐86)に就任,詩人ならびに批評家として活躍する。詩人としては,《さ迷える夢想家その他の詩》(1849),《エトナ山上のエンペドクレスその他の詩》(1852)を匿名出版したあと,《詩集》(1853)を初めて実名で出版,《メロウピー》(1858),《新詩集》(1867)と続く。

アーノルド【Thomas Arnold】

1795‐1842
イギリスの教育家。名門ラグビー校の校長として荒廃の極にあった同校の校風を刷新し,パブリック・スクールの改革を促した。南部海岸ワイト島のカウズに生まれ,ウィンチェスター校からオックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジを卒業。オーリエル・カレッジのフェロー,寒村レールハムでの牧師補や私立予備校の教師を務めた後,1828年から42年に急死するまでラグビー校の校長として在職。その間ロンドン大学の評議員(1836‐38),オックスフォード大学近世史教授(1841‐42)を務めた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

アーノルド【Arnold】

〔Edwin A.〕 (1832~1904) イギリスの詩人。釈迦の生涯・教義を長編無韻詩「アジアの光」に著した。
〔Matthew A.〕 (1822~1888) イギリスの詩人・批評家。文明批評にまで発展させた「教養と無秩序」のほか、「批評論集」などの著がある。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のアーノルドの言及

【鋼】より

…19世紀に入るとベリマンの成果はドイツのカルステンKarl Johann Bernhard Karsten(1782‐1853),ランパディウスWilhelm August Lampadius(1772‐1842)らによって引き継がれ,高炉では吸炭が,精錬炉では脱炭が,浸炭法では吸炭が生じることなどが明らかにされた。また合金鋼に関するM.ファラデーの研究,鉄鋼の変態点に関するロシアのチェルノフDmitrii K.Chernov(1839‐1921)の研究,鉄鋼の顕微鏡組織に関するイギリスのソルビーHenry Clifton Sorby(1826‐1908)やドイツのマルテンスAdolf Martens(1850‐1914)の研究,鉄鋼の変態に関するフランスのF.オスモンの研究,鋼中の炭素の役割に関するイギリスのJ.O.アーノルドの研究,鉄鋼の状態図に関するイギリスのオーステンWilliam Roberts Austen(1843‐1902)やオランダのローゼボームHendrik Willem Bakhuis Roozeboom(1854‐1907)らの研究が相次ぎ,鋼の硬化と熱処理,組織,状態図との関係など,今日の鋼の物理冶金学の基礎が築かれた。鋼の組織の名前であるソルバイト,マルテンサイト,オーステナイト,トルースタイト,レーデブライトなどは,それらの先人の業績にちなんで命名された。…

【教養と無秩序】より

…イギリスの詩人,批評家M.アーノルドの社会・文化論。1869年刊。…

【クラフ】より

…おもな作品は六歩格形式で書いたロマンス《トベル・ナ・ボリッチの小屋》(1848),《アンバルバリア》(1849),主人公をファウストに擬し良心と世間との衝突をうたった《ディプサイカス》(死後出版)など。42歳の若さでフィレンツェに客死し,友人M.アーノルドは挽歌《サーシス》でその死を悼んだ。六歩格の詩形に才を示したが,詩人としてアーノルドに及ばない。…

【ヘレニズム】より

…ヘレニズムという語は一般に2通りの意味で用いられている。一つは19世紀イギリスの詩人・文明批評家M.アーノルドが《教養と無秩序》において,ヨーロッパ文化の根底を成した精神的伝統の一つとして,ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教思想の源泉)と対置させた場合のヘレニズムで,以来広く〈ギリシア文化一般の本質にかかわる精神的基盤〉の意味に用いられる。いま一つは同じく19世紀ドイツの歴史家J.G.ドロイゼンが《ヘレニズム史》において創唱した歴史学上の時代概念としての〈ヘレニズム〉で,従来ギリシア史の長い衰亡期,ギリシア文化の質的劣悪化の時期,ローマ帝国成立までのつなぎの時代とみられてきたアレクサンドロス大王以後約300年の時代と文化は,彼以後ヘレニズム(ギリシア風文化)の名によってその固有の世界史的位置づけが確立した。…

【リービス】より

…作品をきめ細かく読み抜き,そこに作家全体の技巧的成熟,道徳的な健全さ,感受性の均衡を読みとり,イギリス文化全体の健康状態を診断するという姿勢が彼の批評上の信念になっていた。こうした厳格な批評態度は,19世紀のM.アーノルドから受けついだものであるとともに,20世紀という大衆文化の時代にこそ,その平均化に抗して生まれる必然性があった。リービスは自分の信念を批評誌《スクルーティニー》(1932‐53)に盛りこみ,また《現代詩における新方位》(1932),《再評価》(1936)などの単行本により結晶させた。…

【広教会】より

…オックスフォード運動により激化した英国国教会の高教会派と低教会派の抗争を嫌悪し,双方の立場を退け,〈三十九ヵ条の信仰告白〉を含む教会の教義的立場をできるだけ広義に,また自由に解釈することを提唱したT.アーノルドやハンプデンRenn Dickson Hampdenらの立場を言う。その主張は《小論と評論》(1860)によって打ち出されたが,今日では常識的と判断されうる見解が10年にもおよぶ大論争を引き起こした。…

【鉄道】より

… このような状況から,鉄道に対する一般人の反応は相矛盾するものとならざるをえなかった。封建制を葬り新しい時代を招く力とスピードの象徴として鉄道を礼賛する人(例えばラグビー校校長T.アーノルド)もいたが,反対に〈鉄道狂〉の波に乗って美しい自然環境を破壊する侵入者に抗議する詩を,1844年に書いた桂冠詩人ワーズワースや,経済パニックをまのあたりに見て機関車を恐ろしい怪獣〈死〉として,小説《ドンビー父子》(1848)の中で描いたディケンズもいた。ちょうど20世紀人が原子力に対して抱いたと同じような,希望と不安,魅惑と恐怖,賛美と憎悪が相半ばする複雑な感情が,これらの文学者によって示されているが,それはまさに19世紀人の感情を代弁したものだった。…

【パブリック・スクール】より

…この種の学校は200校あまりあるが,そのうち九つがとくに著名である(ウィンチェスター校,イートン校,ハロー校ラグビー校など)。これらはルネサンス,宗教改革期に設立されたが,19世紀半ばラグビー校のT.アーノルド校長の改革を契機に,以後イギリス的紳士育成の拠点となった。その教育の特徴はキリスト教的人文主義の教育内容,寮自治制と級長制による集団規律の重視,団体スポーツを通してのフェア・プレーと闘争心の涵養にある。…

※「アーノルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

アーノルドの関連キーワードフルセットミドルミドルエージミドルホールナイスミドルミドルレディーあいマルセルせっけんボルセックまるせっぷミドルの日

今日のキーワード

ポケモンGO

2016年7月6日に米国・オーストラリア・ニュージーランドで配信開始となったスマートフォン用AR(仮想現実)モバイルゲーム。開発・発売元はNiantic,Inc.(ナイアンティック)で、株式会社ポケモ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

アーノルドの関連情報