翻訳|cybernetics
1947年にアメリカの数学者N.ウィーナーによって提唱された一つの学問分野。厳密な定義はないが,一般には,生物と機械における通信,制御,情報処理の問題を統一的に取り扱う総合科学とされている。ウィーナーは対象をある目的を達成するために構成されたシステムとしてとらえた。それはある組織だった構造をもつものであり,その結果として目的に合致した挙動をするものである。対象の挙動に注目する場合,対象がどのような物質で構成され,どのようなエネルギーを利用しているかは問題ではなく,情報をどのように伝送し,どのように処理し,その結果を用いてどのように制御しているかが重要である。したがって,対象が生物の場合でも機械の場合でも,通信,制御,情報処理という本質的な問題は同一であり,統一的な立場から研究すべきものである。ウィーナーはこのような考え方に基づいて新しい総合科学の樹立を提唱し,これをサイバネティックスと名づけた。サイバネティックスという名称は〈舵取り人〉を意味するギリシア語kybernētēsから作られたものである。
ウィーナーがサイバネティックスを提唱する契機となったのはメキシコ人神経生理学者ローゼンブリュートArthuro Stearns Rosenbluethとの共同研究である。ウィーナー自身は数学者であるが,1919年からマサチューセッツ工科大学に勤務しており,同大学電気工学科で行われていた微分解析機と呼ばれる計算機の研究や砲照準制御装置の開発に興味を持っていた。その当時は第2次大戦中であり,砲の方向を自動制御する目的でフィードバック制御技術の研究が盛んに行われていた。フィードバック制御においては,目標とする方向と実際の方向の差を検出し,その差を小さくする方向に砲を動かす。このとき,砲をあまり大きく動かすと目標方向からの行きすぎを生じ,砲の方向が目標方向のまわりで振動するようになる。できるだけはやく目標と一致し,しかも振動が発生しないように制御装置を設計する必要がある。一方,ローゼンブリュートは随意運動の神経メカニズムの研究を行っていた。ウィーナーはこの問題に興味を持ち,以下のように考えた。たとえば腕を伸ばして物体を把握しようとする場合,腕の各筋肉の緊張度や目からの情報が脳に送られ,手の位置と物体の位置のずれが判定され,このずれを小さくするように腕の各筋肉が動かされて目的とする物体を把握している。これは機械の制御に使用されているフィードバック制御と同一である。実際,腕を伸ばして物体を把握しようとすると腕が振動する症状も存在する。制御工学の研究成果を利用して動物の運動を支配している神経系の動作を解析することができ,また動物の運動機能の研究成果を新しい制御装置の設計に利用することができる。
当時,ローゼンブリュートは科学の方法論に関する月例討論会を主宰しており,医学者,数学者,物理学者など異なる学問分野の専門家による活発な議論が行われていた。この議論のなかで,ウィーナーの構想は運動制御の問題からより一般的なものに発展していった。その成果は1948年にウィーナーの著書《サイバネティックス--動物と機械における通信と制御Cybernetics,or Control and Communication in the Animal and the Machine》によって発表され,世界各国において大きな反響を呼んだ。本書は,〈第1章 ニュートン時間とベルグソン時間,第2章 群と統計力学,第3章 時系列,情報および通信,第4章 フィードバックと振動,第5章 計算機と神経系,第6章 ゲシュタルトと普遍的概念,第7章 サイバネティックスと精神病理学,第8章 情報,言語および社会〉より構成されており,1961年の第2版では〈第9章 学習機械と自己増殖機械〉〈第10章 脳波と自己組織化システム〉が追加されている。この構成から知られるように内容は非常に広い範囲をカバーしており,科学方法論や認識論などの哲学,思想の領域にまで大きな影響を与えた。サイバネティックスについてはウィーナー自身2冊の解説書を執筆している。《人間機械論The Human Use of Human Beings--Cybernetics and Society》(1950)と《サイバネティックスはいかにして生まれたかI Am a Mathematician》(1956)である。後者は自伝的なものである。
サイバネティックスと関係するウィーナー自身の研究としては,不規則信号の最適予測理論が有名である。第2次大戦中に軍事研究として行ったもので,出発点となったのは高射砲で飛行機を撃墜する問題であった。飛行機の速度が速くなったため飛行機の進路を予測して射撃する必要が生じたのである。飛行機の操縦士はできるだけ進路を予測されないよう不規則に操縦するが,機体に慣性があるためその航路はある統計的な性質をもつ。この性質を利用して予測する。研究結果は一般的な最適フィルタリング理論として報告され,1949年に《Extrapolation,Interpolation,and Smoothing of Stationary Time Series》として出版された。
現在,サイバネティックスの基本となる考え方自体は世界各国において広く受け入れられ,もはや常識となっているといってよいであろう。実際,記憶,認識,学習,自己組織化,言語,知能などの問題が工学の分野で広く研究され,一方,中枢神経系や生体制御メカニズムの理論的な研究も大きく発展している。ただし,サイバネティックスという一つの学問分野が確立されたと考えるのは適切ではない。ヨーロッパ諸国では学問分野を表す用語としてある程度使われ,とくに旧ソ連をはじめとする東欧諸国では広く普及してきたが,その内容は制御理論を中心とするシステム工学的なものと見ることができる。一方,アメリカや日本では学問分野名としてはほとんど使用されていない。情報科学,システム工学,一般システム理論,理論生理学などの学問分野名が互いにオーバーラップした形で使用されており,サイバネティックスとこれらをその研究対象や方法論で明確に区別するのは困難である。
サイバネティックスはウィーナーの意図したような形では一つの学問分野として確立されなかった。また,サイバネティックス的な考え方は古くからあったとする意見もある。実際,生物を機械と見る考え方自体は新しいものではなく,また,サイバネティックスで重要な役割を果たすフィードバック制御もJ.ワットが蒸気機関の調速機に使用し,C.マクスウェルによって解析されたものである。しかし,ウィーナーが第2次大戦直後の時点でサイバネティックスを提唱した意義は高く評価すべきで,その後の研究方向に大きな影響を与えた。
執筆者:森下 巌
サイバネティックスの歴史的意義はほぼ次の3点にあると思われる。第1は,これまで産業と結びついた領域で個別的に行われてきた工学的研究を一つの科学として構築しようとしたことである。ウィーナーはそれをホメオスタシスをもった自動制御システムを軸にして行おうとした。それによって動物と機械との共通な側面を取り出そうとしたことは,人間をモデルとする機械の開発と,機械をモデルとする生物体の研究を促したほか,人間と機械の有機的な結合システム(マン・マシンシステム)の研究の契機となった。これは現在,システム工学やロボットの理論として展開している。ウィーナーがその死に至るまで関心を持っていたのは義手や義足の開発であった。
第2は,そこから当然に出てくることであるが,神経系に特有の閾値(いきち)の存在に目をつけたことであり,生物においても機械においても自然現象においても,非線形システムに注目し,その理論を展開しようとしたことである。その契機は脳波の問題であるが,その記録データから自己相関関数をつくり,一般調和解析を使ってスペクトル分解をした結果見いだした周波数の引込み現象(系が外部信号の周波数に同期する現象)を交流回路網の場合にも発見した。ウィーナーの非線形理論は確率空間における非線形演算子を入力関数とするものであるが,その展開は今後の課題である。いずれにせよ,非線形現象というそれまでの科学が避けて通ってきた対象に取り組んだことの意義はきわめて大きい。
第3は,確率空間で統計理論を展開したことであって,これによって19世紀以来育ってきていた推測統計学が大きく発展させられた。この点でサイバネティックスがJ.W.ギブズの統計力学を受け継いだものであることは注目しておかなければならない。ウィーナーは統計力学の基礎をなすルベーグ積分を関数空間に適用し,ルベーグ積分が成り立つ関数の集合について関数解析を行ってブラウン運動の理論を作ったが,このような不規則運動を研究対象としたこともサイバネティックスの特徴である。不規則運動に対して統計学的な接近をすることによってフィルタリング理論も成功したのである。不規則運動から無作為抽出したサンプル関数に演算子を施して出力関数を得るのであるが,この場合,演算子を変換装置と見る視点もサイバネティックスの重要な特徴である。要するに,サイバネティックスの名で展開はしなかったが実質的にはオペレーションズリサーチやシステム理論として広汎に発展させられているのであって,ロボットや人工頭脳の開発は今後も一層その展開を要求するものと思われる。
さらにサイバネティックスは論理学や哲学にも影響を与えた。すなわち,閾値の問題において閾値論理学を生んだほか,一義的決定論を排する点で因果性の問題にも重要な一石を投じた。さらにサイバネティックスはフォン・ノイマンのゲーム理論に対しては否定的なので,ゲーム・モデルの意思決定理論にも問題を投げかけている。ウィーナーの立場は必ずしも人間機械論ではないが,脳の働きを計算機モデルで扱えるかどうか,機械に対しても意識の概念を用いることができるかどうかの問題を提起した。志向性を意識の本質的契機と見る現象学の立場からは,これらに対して否定的な意見が表明されている。しかし,パターン認識においては,知覚の構造の現象学的分析と類似の問題を提起しており,サイバネティックスと現象学との関係自体が哲学の問題となる。さらに,意味をめぐる問題については,確率過程における冗長度を意味と解するサイバネティックス的解釈もあるが,一般に技術的情報は意味を捨象するので,ここにも今後の問題が残されている。
執筆者:坂本 賢三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…アメリカの数学者。サイバネティックスの創始者として知られている。早くから英才教育をうけ,9歳で高校進学,14歳でハーバード大学大学院に進み動物学を専攻したが,すぐに進路を誤ったことに気付きコーネル大学で哲学を学ぶ。…
…したがって,対象が生物の場合でも機械の場合でも,通信,制御,情報処理という本質的な問題は同一であり,統一的な立場から研究すべきものである。ウィーナーはこのような考え方に基づいて新しい総合科学の樹立を提唱し,これをサイバネティックスと名づけた。サイバネティックスという名称は〈舵取り人〉を意味するギリシア語kybernētēsから作られたものである。…
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[オートメーションと関連技術]
前述のように,自動制御と工程の連続化が技術的には2本の軸である。前者のためには工程のおかれている状態を機械的に感知・計測し,得られた情報にしたがって必要な制御を機械に指示してやる回路を形成する技術,いわゆるサイバネティックスと総称される分野の技術の発展が必要であった。初期には簡単な計器によるフィードバック制御やシーケンス制御が頼られていたが,コンピューターの登場,計測・制御関連機器の発展とともに,以前とは比較にならぬ複雑で柔軟なシステムの構成が可能になった。…
…すなわち20世紀の新しい機械論は,情報処理機械(コンピューター)や自動制御機械(ロボット)をモデルとする機械論なのであって,分子生物学はまさにその生物への適用である。サイバネティックスはこの新しい機械論の呼称と言ってよいが,それは有機体をモデルとする機械論なのである。この新しい機械論は社会や人間にも適用されつつあるが,その特徴は構造化とそれに伴う〈意味〉の捨象であって,生きることの意味や人間の主体性(意志)と機械との関係が新しい課題として登場してきている。…
…生体系にせよ機械系にせよ,システムとして整合のとれた動作を行うためには,情報の活用が不可欠である。1947年N.ウィーナーはサイバネティックスという新しい学問を提唱し,通信と制御を中心に両者に共通の情報原理を考察した。これは従来の対象別個別の研究の枠を超えて,生体から機械まで情報を主体として統一的に捉える新しい情報科学の成立を宣言する哲学であった。…
…20世紀,とくにその後半に至り,一方で,分子生物学や大脳生理学の急速な進展により,人間のさまざまな機能,なかんずく精神現象の物質的基盤が明らかになり,また他方,電子工学の発展により,これらの人間的機能が電子工学的にモデル化されるに至り,人間機械論は格段に具体性を帯びることになった。とくに,20世紀中葉,ウィーナーによるサイバネティックスという新しい学問領域の提唱以降,人間を一種の有限自動機械(ファイナイト・オートマトン)と見る見方が広く定着するに至った。 人間機械論は哲学や思想万般に対して,多くの難問を提起することになる。…
※「サイバネティックス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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