ミュンヘン・オリンピック村襲撃事件(読み)ミュンヘン・オリンピックむらしゅうげきじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ミュンヘン・オリンピック村襲撃事件
ミュンヘン・オリンピックむらしゅうげきじけん

第20回ミュンヘン・オリンピック競技大会開催中の 1972年9月5日,パレスチナ・ゲリラ組織の一つ「黒い九月」がイスラエル人選手の宿舎を襲撃した事件。2人を射殺し,イスラエルに拘留されているパレスチナ人 230人の釈放を要求し,9人を人質として国外逃亡を企てたが,ドイツ連邦共和国(西ドイツ官憲と銃撃戦の末,人質全員,ゲリラ 5人,警官 1人,ヘリコプタ操縦士 1人が死亡,ゲリラ 3人が逮捕された。大会は日程を 1日ずらして続行された。事件後,イスラエルの情報組織は過激派ゲリラ組織への報復に力を入れ,1973年4月にイスラエルの奇襲部隊ベイルートでパレスチナ・ゲリラ 3人を暗殺。事件は報復の悪循環を誘った。しかし,イスラエル情報部がゲリラへの復讐に力を入れすぎたため,エジプトシリアでの情報活動が手薄となり,1973年の十月戦争をアラブ側の先制攻撃の成功という,イスラエルの予想していなかった結果で戦わざるをえなくなったといわれている。ミュンヘンのオリンピック村跡には,慰霊塔が建てられている。

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