イスラエル

精選版 日本国語大辞典 「イスラエル」の意味・読み・例文・類語

イスラエル

  1. ( Israel ) ( ヘブライ語 yisrā'ēl は、神が支配する、神と競う、などの意 )
  2. [ 一 ]旧約聖書」において、ヤコブの子一二人に始まる一二部族からなる民族名。北西セム系の半遊牧民で、パレスチナからエジプトに移住。前一二世紀頃モーゼに導かれてカナンに至り、ダビデ、ソロモンのとき強大な王国として栄えた。ソロモンの死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂、イスラエル王国は前七二一年新アッシリアに、ユダ王国は前五八六年新バビロニアに滅ぼされた。アケメネス朝ペルシア時代に復興するが、のち、ローマ帝国の支配下にあって独立に失敗、徹底的に鎮圧されて分散し、以後流浪の民族となった。ユダヤ人ヘブライ人
  3. [ 二 ] 西アジアの地中海東岸にある共和国。一九四八年イギリスの旧委任統治領パレスチナの大部分を領域に、世界じゅうに分散(ディアスポラ)したユダヤ人の統一をめざしてイスラエル共和国として独立。首都はエルサレム

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百科事典マイペディア 「イスラエル」の意味・わかりやすい解説

イスラエル

◎正式名称−イスラエル国Medinat Yisrael/State of Israel。◎面積−2万2072km2。◎人口−784万人(2011)。◎首都−エルサレムJerusalem(80万人,2011,東エルサレムを含む)。◎住民−ユダヤ人76%,アラブ人その他24%。◎宗教−ユダヤ人はユダヤ教(76.8%),アラブは大部分がイスラム(15.5%),キリスト教(1.7%),ドルーズ(1.6%)(2005年)。◎言語−ヘブライ語(公用語)が大部分,ほかにアラビア語,イディッシュ語など。◎通貨−ニュー・シュケルNew Shekel。◎元首−大統領,ルーベン・リヴリンReuven (Ruvi) Rivlin(1939年生れ,2014年7月就任,任期5年)。◎首相−ネタニヤフBenjamin Netanyahu(2009年3月就任,2013年3月再任,任期4年)。◎憲法−成文憲法はなく,帰還法,政府法など一連の基本法が実質的憲法となっている。◎国会−一院制(定員120,任期4年)。(2015)◎GDP−1995億ドル(2008)。◎1人当りGDP−2万8200ドル(2008)。◎農林・漁業就業者比率−2.4%(2003)。◎平均寿命−男79.9歳,女83.6歳(2013)。◎乳児死亡率−4.0‰(2005―2009)。◎識字率−96.9%(2003)。    *    *西アジア,地中海岸の共和国。地形は変化に富み,肥沃な海岸平野,東部のヨルダン渓谷,死海,南部のネゲブ砂漠がある。地中海式気候で気温は最高38℃に達する。住民の8割はユダヤ人でユダヤ教徒。公用語はヘブライ語。工業化が進み,繊維・化学・機械・ダイヤモンド研磨工業があり,死海付近でカリ塩を産する。主要農作物は柑橘(かんきつ),穀物で,キブツのような独特の農業協同組織を有する。ヨルダン川分水開発計画が行われている。経済的には中東最高で,1人当り国民所得は西欧に準じる。元首は大統領で一院制の議会が選出,首相は国民の選挙で選出。 19世紀末ユダヤ人のシオニズム運動が始まり,パレスティナ問題が起こった。1948年第1次中東戦争によって独立。その後も領土をめぐりアラブ諸国との対立・抗争が絶えない。1979年キャンプ・デービッド合意に基づきエジプトと,1994年ヨルダンと,それぞれ平和条約を結んだ。パレスティナ解放機構PLO)とは,1993年に相互承認して和解し,暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名。1994年にパレスティナ暫定自治先行協定に調印したものの,和解推進派のラビン首相が1995年に暗殺され,1996年には強硬派のリクード党首ネタニヤフが首相に選ばれ,パレスティナ和平の前途は一気に混沌とした。1999年5月の選挙でイスラエル労働党のバラクがネタニヤフに圧勝し,和平の進展が期待されたが,2001年2月の選挙で右派リクード党首シャロンが当選し,状況は再び悪化した。2003年1月の選挙でリクードが第1党に躍進し,シャロンは中道右派4党からなる連立政権(第2次シャロン内閣)を発足させた。2005年8月突如パレスティナ自治政府のガザ地区内のユダヤ人入植者の強制退去を開始したが,翌2006年1月シャロンは病気のため政治生命を絶たれた。2009年2月の総選挙で,ネタニヤフ率いるリクードが第1党は逃したものの躍進し,労働党などとの右派連立を実現,ネタニヤフが10年ぶりに首相に返り咲いた。ネタニヤフは,入植事業の継続政策を加速,入植凍結を和平交渉再開の条件とするパレスティナ自治政府との溝は拡がっている。対イラン制裁問題やパレスティナ自治政府の国連加盟問題でも強硬な姿勢をとり続けている。国内では,2011年8月,生活費高騰に抗議し政府に社会改革を求める大規模なデモが発生している。しかし,2012年2月の与党リクードの党首選でネタニヤフ氏が75%以上の票を得て大差で再選を果たした。2013年1月の総選挙でリクードは,同じく右派・極右のイスラエル・ペイティヌとともにリクード・ペイティヌとして統一名簿で臨み,大幅に議席は減らしたものの第1党を確保,3月右派・中道連立内閣を発足させ,ネタニヤフが3度目の首相となった。2015年3月の選挙でも,事前の予想では野党労働党などでつくる統一会派〈シオニストユニオン〉の優勢が伝えられたが,リクードが第1党を確保,ネタニヤフが続投する。ネタニヤフは,米国をはじめ西欧諸国が核保有問題で協調姿勢を見せているイランとの交渉をすすめるなか,対イラン強硬路線を強く主張しており,パレスティナ問題についても一切譲歩をみせず,強硬姿勢を変える可能性は低い。
→関連項目アシュケナジムアッコパレスティナ自治政府ヘブライ人ヘルツルマサダモサドユダヤ教

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改訂新版 世界大百科事典 「イスラエル」の意味・わかりやすい解説

イスラエル
Israel

民族名としてのイスラエルが初めて現れる聖書外資料は,エジプト王メルエンプタハの5年(前1230ころ)の戦勝記念碑である。これにより,前13世紀に,イスラエル人がカナン(のちのパレスティナ)にいたことが確かめられる。他方,旧約聖書によると,民族の起源は,それより4,5世紀前に,ヘブライ人アブラハムがメソポタミア地方からカナンへ移住して来た事件に求められる。遊牧民アブラハムは,のちにイスラエルの神になったヤハウェから,彼の子孫にカナンの地を与えると約束された(〈アブラハム契約〉)。アブラハム,イサク,ヤコブの3代は族長と呼ばれる民族草創の父祖であるが,ヤコブを民族の直接の先祖とする伝承により,ヤコブの別名はイスラエル,その12人の子らはイスラエル12部族の名祖であったと説明される。

 ヤコブ一族のヘブライ人は,飢饉を逃れてエジプトへ移住したが,やがてエジプト人の奴隷となって苦役に服した。このとき,族長の神と名乗るヤハウェの顕現を受けたモーセが,ヘブライ人を率いてエジプトを脱出した。紅海を渡るさいに,エジプト軍の追跡から奇跡的に救われたヘブライ人はシナイ山に行き,モーセを仲保者としてヤハウェと契約を結んだ(〈シナイ契約〉)。これにより,それまで漠然とした血縁意識しか持っていなかったヘブライ人諸部族は,一つの民族共同体イスラエルを形成し,ヤハウェはイスラエルの唯一の神,イスラエルはヤハウェに選ばれた民になった。これが,モーセ一神教の成立である。旧約聖書は,このとき十誡を含むいわゆる〈モーセの律法〉をヤハウェがイスラエルに与えたと伝える。歴史的には,律法の大部分は後代成立した諸法律であるが,その起源をモーセまでさかのぼらせることにより,〈シナイ契約〉が民族共同体の基盤であることを確認したのである。

 〈シナイ契約〉を結び,40年間荒野を放浪したのち,イスラエル人はモーセの後継者ヨシュアに率いられてカナンに侵入した。前13世紀末のことである。それから約200年の間に,イスラエル諸部族はカナン人を征服してそれぞれの嗣業の地に定着した。この時代に,イスラエル人はヤハウェ信仰による共同体意識を保持していたが,政治的統一組織は持たなかった。各部族は強い自治意識を持ち,外敵に攻められた危急の場合にのみ,士師と呼ばれるカリスマ的軍事指導者の下に集合して地方的部族連合を形成したが,士師の支配権がその子孫に継承されることは認めなかった。しかし,海岸地方に定着した海洋民族フィリスティア人(ペリシテ人)が,内陸に向かって勢力を拡大してくると,この種の緩やかな部族連合では対抗できなくなった。ヤハウェのみがイスラエルの支配者という神政思想は退けられ,周辺諸民族にならって王政が樹立され,イスラエル王国が建てられた。

 初代の王サウルは敗死したが,この間に,南方のユダ族出身のダビデは南ユダ王国を建て,イスラエル王国の王位も兼ねるとフィリスティア人を破り,勢いに乗じて東ヨルダンとシリアを征服して大帝国を築き上げた。前1000年ころのことである。帝国の首都はエルサレムに定められ,ここにダビデの子ソロモンがヤハウェの神殿を建立した。これらの政治的展開を背景として,ヤハウェがダビデ家とエルサレムを永遠に選んで,イスラエルの支配者と首都に定めたという主張(〈ダビデ契約〉)が生じた。北方諸部族は〈ダビデ契約〉を承認せず,ソロモンが死ぬとダビデ家の支配から独立して北イスラエル王国を建てた。しかし,200年間に8回の王位奪が起こり,次々と王家が交代したため,政治的安定はいつも短期間で終わった。前9世紀前半に,オムリはサマリアに王都を定め,南ユダ王国と和解し,フェニキア人と同盟を結んで政治的安定と経済的繁栄をもたらした。しかし,それとともにイスラエルに浸透したフェニキアのバアル礼拝に対する激しい抵抗が起こった。預言者エリヤとエリシャに指導された抵抗運動の指導下に,エヒウが〈ヤハウェ主義革命〉を起こし,オムリ家を倒した。エヒウ家は約1世紀におよぶ支配を確立し,前8世紀中葉には,ソロモン時代にも匹敵する繁栄を達成したが,まもなく社会的,地域的分裂とアッシリアの侵略によって無政府状態に陥り,前722年にアッシリアに征服されて北イスラエル王国は滅亡した。

 南ユダ王国は,統一王国分裂後もダビデ家の支配下にとどまり,北イスラエル王国の滅亡とともに,イスラエルの伝統の唯一の継承者となった。前7世紀後半に,アッシリア帝国の衰退に乗じて,ヨシヤ王がいわゆる〈申命記改革〉を行ってヤハウェ信仰の復興と政治的独立を果たしたが,前586年にバビロニアに滅ぼされ,ユダの指導者たちはバビロンに捕囚された。しかしその50年後に,ペルシア王キュロスに解放されてエルサレムに帰還したユダヤ人によって,イスラエルの伝統を継承するユダヤ教が形成されたのである。
イスラエル王国 →ユダ王国 →ユダヤ教
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世界大百科事典(旧版)内のイスラエルの言及

【シオニズム】より

…これと並んで,19世紀末以来すすめられてきたキブツによる集団入植が,独自の理念と文化を築き,シオニズム運動の重要な要因となった。 1948年イスラエル国家の成立により,シオニズムの目標は達成されたが,宗教原理に基づくこの国家の基本的性格をめぐる議論,国内でのヨーロッパ系市民(アシュケナジム)の支配による事実上の人種差別の問題,パレスティナ問題,アラブ・ナショナリズムとの対立の問題,国際共産主義運動とシオニズムとの関係等,その直面する状況はなお複雑である。シオニズムは,ヨーロッパにおけるユダヤ人問題を,これを輸出することによって解決しようとしたが,かえってこの問題を全世界的規模にまで拡大したとみることができるであろう。…

【中東戦争】より

…1948年5月のイスラエル国家成立を機に始まったアラブ諸国とイスラエル国家の間の一連の戦争。アラブ・イスラエル紛争ともいう。…

【ヤコブ】より

…古代イスラエルの族長の一人(《創世記》25~36ほか)。〈ヤコブ物語〉の形成過程でイサクの子とされ,またイスラエル12部族の名祖(なおや)であるユダ,ヨセフ,ベニヤミンなど12人の息子と娘ディナの父。…

【ユダヤ人】より


[現代世界におけるユダヤ人]
 ヨーロッパが試みた〈ユダヤ人問題〉の暴力的解決の試みと問題のヨーロッパ以外への輸出によって,ヨーロッパにおけるユダヤ人人口は激減した。代わって,現在ではイスラエルとならんでアメリカ合衆国が,600万以上と推定される〈ユダヤ人〉を擁して一大中心となっている。彼らのうちの大きな部分を占める,東ヨーロッパ出身の人びとのなかには〈東方ユダヤ人〉の宗教文化,イディッシュ語文化を継承,発展させていこうとする努力があり,独自の思想的・文化的寄与を果たしている。…

※「イスラエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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