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ミュンヘン München

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ミュンヘン
München

ドイツ南東部,バイエルン州州都ベルリンハンブルクに次ぐドイツ第3の都市。1157年,バイエルンハインリヒ獅子公は,ザルツブルクからの塩などの通商路が,アルプスからのイーザル川と出会うこの地に市場を開くことを,修道士たち(それ以前からこの付近にはテーゲルン湖畔の修道院の修道士たちが住んでいた)に許し,翌 1158年ここに架橋した。これが都市の起源とされる。1180年,獅子公は没落。代わってウィッテルスバハ家が支配し,1255年以後 1918年までここを居館地とした。その間,三十年戦争の影響,ペスト(→黒死病)の大流行などにより 17世紀には商業活動が一時停滞したが,そのほかはおおむね順調な発展,充実をみせた。特に 19~20世紀には人口が急増,1800年の 4万から 1900年には 50万をこえ,その後も増加の一途をたどった。1920年代にはアドルフ・ヒトラーの率いるナチスの活動の舞台となり,第2次世界大戦でかなりの被害を受けたが,市は急速な復興をみせた。円屋根のある二つの塔をもつフラウエン大聖堂(1468~88),旧市庁舎(1470~80)などをはじめ,ルネサンス建築バロック建築ロココ様式(→ロココ美術)の建築物が保存あるいは修復され,多くの観光客の目を楽しませている。アルテ・ピナコテークはアルブレヒト・デューラーの収集で有名。産業では精密機械,光学機器,電気機器,車両,航空宇宙産業など各種の工業が盛ん。醸造所も多く,ビール祭りのオクトーバーフェストは有名。銀行・金融業の中心でもある。1972年のミュンヘン・オリンピック競技大会の開催地。人口 134万8335(2011)。

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デジタル大辞泉の解説

ミュンヘン(München)

ドイツ南部の商工業都市。バイエルン州の州都。交通の要衝にあり、南ドイツの経済・文化の中心地。16世紀以来、バイエルン公国首都として繁栄。光学・精密機械などの工業のほか、ビール醸造も盛ん。人口、行政区133万(2008)。

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百科事典マイペディアの解説

ミュンヘン

ドイツ南部,バイエルン州の州都。ドナウ支流,イーザル川に臨み,南ドイツの政治・経済・文化の一大中心。電機・機械・車両・繊維・ビール醸造工業などが行われる。大学(1472年創立,1826年同市に移転),工科大学(1868年創立),マックス・プランク研究所,ドイツ博物館,ピナコテーク(ミュンヘン・ピナコテーク),15世紀の聖母教会,17世紀のニュンフェンブルク宮などがある。
→関連項目バイエルンミュンヘンオリンピック(1972年)

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デジタル大辞泉プラスの解説

ミュンヘン

ビルケンシュトックが販売するカジュアルシューズ。同社のブランド「フットプリンツ」の製品。

ミュンヘン

2005年製作のアメリカ映画。原題《Munich》。監督:スティーブン・スピルバーグ、出演:エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、キアラン・ハインズ、マチュー・カソビッツほか。第78回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。

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世界大百科事典 第2版の解説

ミュンヘン【München】

ドイツの南東部を構成するバイエルン州の州都。面積310.39km2。人口は124万5000(1995)で,ベルリン,ハンブルクに次ぐ。南ドイツの経済・文化の一大中心地であるとともに,国際空港をもつドイツ最大の観光都市。1972年第20回夏季オリンピックが開催された。南のアルプス山地と北のドナウ川の間に広がる高原地帯のほぼ中央に位置し,アルプスに発するイーザル川が市を南南西から北北東へと貫流する。砂礫から成る台地上に発達し,市の南方には村々が点在する森林が広がり,北方は今日ではほとんど開拓された,かつての沼沢地に連なる。

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大辞林 第三版の解説

ミュンヘン【München】

ドイツ南部の都市。アルプス山脈の北麓にあり、ビールの醸造で知られる。精密機械・化学工業も発達。かつてはバイエルン王国の首都として発展。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ミュンヘン
みゅんへん
Mnchen

ドイツ南東部、バイエルン州の州都。アルプスから北流してドナウ川に注ぐイザール川沿岸に位置する。人口123万4700(2002)。ベルリン、ハンブルクに次ぐ同国第三の大都市。地名は、集落の基礎をつくった修道士たちを意味するMnchenに由来する。中世都市としても栄えたが、19世紀以降、ルートウィヒ1世の治世や鉄道の開通などによって、南ドイツ随一の都市に成長した。[石井英也]

市街と歴史的建造物

イザール川の左岸、かつて市壁(現在は環状道路になっている)に囲まれていた旧市街には、由緒ある建物が集中している。たとえば、仕掛け時計のある塔をもつ市庁舎(1867~1908)、タマネギ型の円屋根の塔をもつフラウエン教会(1468~1488)、ドイツ・ルネサンス様式の貴重な遺産である聖ミヒャエル教会(1583~1597)、旧城館、造幣所、ホーフブロイハウス(旧宮廷醸造所)などである。旧市街は、各方面から道路の集まるミュンヘンの核心地で、中心業務地区でもある。そのため、銀行、保険会社、大会社の事務所、あるいは百貨店、専門店、レストランなどが多い。旧市街の北方に広がる地区は、19世紀初期のルートウィヒ1世時代に建設された部分で、格子状の道路網が特徴的である。この地区には、宮殿のほか、連邦・州政府機関、学校、美術館、博物館など、バイエルン州の中心施設が集まっている。さらに北部のシュワービング地区は、大学や美術学校に近く、学生や芸術家の居住地区として知られている。カフェーやレストランが多く、流行の先進地で、「小パリ」といわれる。旧市街の南西、中央駅の南には、オクトーバーフェスト(十月祭、ビール祭ともいわれる)の会場となるテレジエンウィーゼ広場や見本市会場がある。市の西部にある巨大なバロック様式のニンフェンブルク城は、バイエルン選帝侯の夏の宮殿で、1663~1728年に造営された。ここに付属するロココ様式のアマリエンブルク宮や国立陶器製造所もよく知られている。
 市は芸術・文化の中心地で、ドイツ最大の総合大学(1472年創立、1826年ミュンヘンに移転)、工科大学、造形美術大学、音楽大学のほか、国立図書館、バイエルン国民博物館、ドイツ博物館(自然科学と工学)、グリュプトテーク(古代および現代の彫刻館)、アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテークの2絵画館、国立劇場、オペラ劇場などがある。[石井英也]

産業・再開発

ミュンヘンの繁栄は、長い間商業によって維持されてきた。中世には、とくに塩の交易によるところが大きかった。19世紀中ごろの鉄道の開通後には、南ドイツ最大の穀物、木材、果物、野菜の集散地となった。工業は、19世紀初頭にはわずかの手工業しかみられなかったが、19世紀後半から発展し、現在ではバイエルン最大の工業都市となった。エレクトロニクス、光学、電気機械、精密機械、自動車などの近代工業ばかりでなく、ビール醸造、工芸や出版、印刷といった伝統工業も盛んである。北郊に大規模な工業団地がつくられている。第二次世界大戦後の人口急増によって住宅不足が深刻となり、南郊や北郊にいくつかの大規模な住宅地区が建設されてきた。市街地は、建物の老朽化、交通の混雑、駐車場不足といった大都市共通の悩みを抱え、その再開発に力が入れられている。1972年にオリンピックが開かれ、それを機に地下鉄が開通した。[石井英也]

歴史

8世紀に修道士によって開かれた。12世紀ウェルフ家最後のバイエルン大公ハインリヒ獅子(しし)公がここに市場を移し、貨幣鋳造権、関税(とくに塩税)徴収権を得て以来、都市となり、獅子公のあとバイエルンを支配するウィッテルスバハ家の居城地となった(1918年11月まで)。16世紀以来、バイエルン公国の首都として、また商業の中心地として繁栄した。16世紀の宗教改革ではカトリック教会、とくにイエズス会の拠点となった。17世紀の三十年戦争では、スウェーデン国王グスタフ・アドルフに占領された。18世紀のスペイン継承戦争ではオーストリアに占領され、選帝侯はルイ14世の下に逃れたが、このころからミュンヘンはフランスの影響を受け始めたといわれる。
 1805年ナポレオン1世はミュンヘンに入り、アウステルリッツの勝利後、1806年バイエルンの領地を拡大し王国にした。ミュンヘンには大学も誘致され、ドイツだけでなく、ヨーロッパの文化と学問の一つの中心地となった。1848年、三月革命では、踊り子ローラ・モンテスとの情事で知られるルートウィヒ1世が退位した。ノイシュバーンシュタイン城建設で知られるルートウィヒ2世は当時の医師らに統治不能との精神鑑定を受け、後に溺死(できし)体となって発見された。1918年11月ドイツ全土に先駆けてミュンヘンに革命が起こり、王政は打倒され、アイスナー政府が成立した。1919年2月アイスナーは街頭で暗殺され、ホフマン政府が成立するが、4月~5月にはレーテ共和国が宣言されたこともあって、白色テロの荒れ狂うなかでミュンヘンは右翼の巣窟(そうくつ)となった。1923年11月にはヒトラー一揆(いっき)が起こった。ヒトラーが政権につくと、1935年ミュンヘンは「運動の首都」と宣言された。ズデーテン問題に関する1938年9月の英独仏伊の四国協定はここで調印された。第二次世界大戦の戦局が転換すると、ミュンヘン大学でも反ナチス抵抗運動「白バラ」の活動がみられた。第二次世界大戦ではミュンヘンの半分が破壊され、戦後はアメリカ軍の占領下に置かれた。1947年6月バイエルン州首相エアハルトの提唱による全ドイツ州首相会議がミュンヘンで開かれたが、議題をめぐって交渉は決裂し、やがてドイツは分裂した。[吉田輝夫]

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