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十月戦争 じゅうがつせんそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

十月戦争
じゅうがつせんそう

1973年 10月にイスラエルとアラブ諸国との間で戦われた第4次中東戦争。イスラエルではヨム・キプール戦争,アラブ諸国ではラマダーン戦争と呼ばれている。 73年 10月6日,ユダヤ暦新年の最も神聖な贖罪の日 (ヨム・キプール) に,エジプト,シリア両軍がスエズ運河方面とゴラン高原方面で同時にイスラエルに攻撃をしかけて開始された。緒戦ではアラブ側が優勢であったが,途中からイスラエルが盛返し,特にシリアとの戦線では 67年戦争の占領地をさらに拡大した。またエジプトとの戦線では,イスラエル軍の一部がスエズ運河の西岸にまで攻め込んだものの,シナイの一部をエジプト軍が取戻した形で 10月 23日,停戦が実施された。この戦争は,エジプトのサダト大統領が「イスラエル不敗の神話」を打破し,対等の心理的基盤に立って紛争の政治的解決の糸口を見出そうというねらいから始めたものだが,イスラエルが決定的勝利を収めえなかったことから,そのねらいはある程度成功した。またアラブの産油諸国が石油戦略を発動,イスラエルに同情的な国に石油禁輸措置をとる方針を示し,ほぼ同時に石油輸出国機構 OPECが原油価格を約4倍も引上げたために,いわゆる石油危機がもたらされ,パレスチナ問題への世界の関心を集めることに成功した。戦後処理のために国連安保理決議 338号が採択され (1973.10.22.) ,73年 12月 21~22日には中東和平ジュネーブ会議が開かれ,その後アメリカの H.キッシンジャー国務長官の斡旋により,イスラエルとエジプト,イスラエルとシリアとの間にそれぞれ兵力引離し協定が結ばれた。

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世界大百科事典内の十月戦争の言及

【中東戦争】より

…シナイ半島にはUNEFが再び駐留することになった。アラブ側はこの戦争を十月戦争またはラマダーン戦争,イスラエルはヨーム・キップール(贖罪の日)戦争と呼んだ。戦争中,石油輸出国機構(OPEC)加盟のペルシア湾岸諸国の価格引上げ,およびアラブ石油輸出国機構(OAPEC)の生産削減措置は,世界経済にオイル・ショック(石油危機)と呼ばれる広範な影響を与えた。…

※「十月戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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