板倉重高(読み)いたくら しげたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「板倉重高」の解説

板倉重高 いたくら-しげたか

1667*-1713 江戸時代前期-中期大名
寛文6年12月11日生まれ。丹波園部(そのべ)藩(京都府)藩主小出英知(こいで-ふさとも)の3男。板倉重宣(しげのぶ)の養子貞享(じょうきょう)元年上総(かずさ)(千葉県)高滝藩主板倉家2代。元禄(げんろく)12年備中(びっちゅう)(岡山県)庭瀬藩主板倉家初代となる。2万石。正徳(しょうとく)3年2月10日死去。48歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の板倉重高の言及

【備中国】より

…庭瀬藩は賀陽郡庭瀬(岡山市)に陣屋をもつ小藩で,1600年宇喜多氏の旧臣戸川逵安(みちやす)(外様)が2万9000石を領して立藩したが,4代で無嗣絶家となって一時廃藩となった。その後,久世重之,松平信通が入封したがいずれも間もなく移封し,99年(元禄12)板倉重高が2万石で入封し,以後譜代11代170年在封した。 1615年に立藩した岡田藩は,下道郡岡田(吉備郡真備町)に居所をもつ1万石の外様極小藩で,初代藩主は伊東長実で以後10代256年在封した。…

※「板倉重高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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