永江純一(読み)ながえ・じゅんいち

朝日日本歴史人物事典 「永江純一」の解説

永江純一

没年:大正6.12.19(1917)
生年嘉永6.2.9(1853.3.18)
明治大正期の政党政治家,実業家筑後国三池郡江浦(大牟田市)に生まれる。一時上京するが,すぐ帰郷し野田卯太郎らと共に自由民権運動に参加,明治19(1886)年福岡県会議員となる。石炭業を通じて三井財閥と関係を深め,三池で種々の会社を創立する一方,鐘淵紡績取締役として日本の綿業発展に尽力。また政治家としても31年代議士に当選(立憲政友会所属),41年および大正4(1915)年に政友会幹事長。明治25年の総選挙で吏党側運動員と揉み合って左足を負傷するなど,闘士であるとともに,実業と政治の掛け橋となった。<参考文献>『福岡県史・近代史料編/綿糸紡績業

(季武嘉也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永江純一」の解説

永江純一 ながえ-じゅんいち

1853-1917 明治-大正時代の政治家,実業家。
嘉永(かえい)6年2月生まれ。福岡県会議員をへて明治31年衆議院議員(当選5回)。政友会幹事長。三池土木,三池紡績,九州紡績,鐘淵(かねがふち)紡績の重役や三池銀行の頭取をつとめた。大正6年12月9日死去。65歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身

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