江文神社(読み)えぶみじんじや

日本歴史地名大系 「江文神社」の解説

江文神社
えぶみじんじや

[現在地名]左京区大原野村町

金毘羅こんぴら(江文山)山麓鎮座宇賀御魂うかみたま神を祭神とする。旧村社。創建は明らかでないが、もと天之御中主あめのみなかぬし神・高皇産霊たかみむすび神・神皇産霊かんむすび神の造化三神を祀ったと伝える江文山(山城名勝志)の麓社として建立された神社と考えられる。「雍州府志」には「江文大明神 在静原与大原草尾之間、所祭之神一座、倉稲魂命而伊弉諾尊之御子也」とあり、「山城名跡巡行志」には「在井出村西山下鳥居東向拝殿、所祭倉稲命、例祭三月三日、戸寺井出野村共祭、神輿二基」とみえる。境内には本殿・拝殿・鳥居のほか末社の源大夫社を祀る(山城名勝志)。拝殿では井原西鶴の「好色一代男」に描かれた「大原雑居寝ざこね」の風俗があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の江文神社の言及

【雑魚寝】より

…年越しの夜,宵宮(よみや)や季節の変り目の行事におけるおこもりの際に行われた。西鶴《好色一代男》(1682)に〈今宵は大原の里の雑魚寝とて〉と記されて名高い大原(おはら)の雑魚寝は,京都大原の江文(えぶみ)神社の拝殿でかつては節分の夜に行われた。宵宮は今では本祭の前夜祭のように考えられているが,本来祭りは神の降臨する真夜中に行われた。…

※「江文神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」