立野竜貞(読み)たつの・りゅうてい

朝日日本歴史人物事典 「立野竜貞」の解説

立野竜貞

生年生没年不詳
江戸後期の産科医。号は折肱斎。上総国農民だったが,当地に良医が乏しく,親戚らが病気になったとき,しばしば治療を誤って若死にさせてしまった。これを座視することができず古医方を学んだ。また隣村婦人難産になったが,助けられなかった。医者はその術を究めないときは,患者の命を救えないという罪を免れることはできない,と悟り,賀川玄悦の『産論』や片倉鶴陵 の『産科発蒙』などを読み独学した。胎児を安全に引き出す網「包頭器」などを発明して実践し,文政3(1820)年自らの助産術を論じた『産科新論』3巻を刊行している。<参考文献>緒方正清『日本産科学史』

(蔵方宏昌)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「立野竜貞」の解説

立野竜貞 たつの-りゅうてい

?-? 江戸時代後期の医師
上総(かずさ)(千葉県)の人。はじめ農業に従事したが,古医方をまなび医師となる。賀川玄悦や片倉鶴陵の著書から産科をまなび,難産のときの助産器具包頭器を創案した。文政3年(1820)「産科新論」をあらわした。号は折肱斎。

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