耿継茂(読み)こうけいも(英語表記)Geng Ji-mao; Kêng Chi-mao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「耿継茂」の意味・わかりやすい解説

耿継茂
こうけいも
Geng Ji-mao; Kêng Chi-mao

[生]?
[没]康煕10(1671).5. 福州
中国,清初の武将。正黄旗漢軍旗人。諡は忠敏。遼寧省蓋平出身の武将耿仲明長子。順治の初め世職の昂邦章京 (総兵官) となり,順治6 (1649) 年,父仲明の自殺により代ってその軍を統率。同8年,順治帝親政となるに及んで父の靖南王の爵を継ぎ,広州を攻略して同 13年に尚可喜とともに藩府を開いて軍政民政をほしいままにした。同 16年四川移駐を命じられ,翌年福建移駐に改められ,福建の靖南王藩として威をふるった。福建にあって鄭成功,成錦一族の反清復明運動を攻撃し,これを大敗させた。康煕 10 (71) 年に病気のため長子の耿精忠に藩務を代理させ,同年5月に死んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「耿継茂」の意味・わかりやすい解説

耿継茂
こうけいも
(?―1671)

中国、清(しん)初の武将。靖南(せいなん)王耿仲明の長子。諡(おくりな)は忠敏(ちゅうびん)。漢軍正黄旗人。1649年、父とともに広東(カントン)の南明(なんみん)勢力征討に出発、父が途中で死ぬと、その部隊を率い、平南王尚可喜(しょうかき)とともに広東を平定し、その功により靖南王を継いだ。その後、過重な兵糧徴発が問題化したため、60年福建に移されて、鄭成功(ていせいこう)率いる反清軍と戦い、成功死後鄭氏内紛を利用して鄭氏勢力を弱め、厦門(アモイ)、金門などを攻略した。死後は、長子精忠が靖南王を継いだ。

[岸本美緒]

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世界大百科事典(旧版)内の耿継茂の言及

【耿仲明】より

…49年靖南王に改封され,広東へ南征の途中,罪を問われて自殺した。子の耿継茂が王爵を継ぎ,広州ついで福州に駐した。清初の三藩の一つで,孫の耿精忠は呉三桂に呼応して三藩の乱をおこした。…

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