アダムマリク(その他表記)Adam Malik

改訂新版 世界大百科事典 「アダムマリク」の意味・わかりやすい解説

アダム・マリク
Adam Malik
生没年:1917-84

インドネシア政治家。北スマトラのプマタン・シアンタール生れ。1937年インドネシア最初の通信社(のちのアンタラ通信)を設立しジャーナリストとして活動。第2次大戦前から独立運動に参加,45年8月17日の独立宣言に際し新しい世代の一人としてスカルノ,ハッタら旧世代民族主義者を突き上げ,宣言を強行させた。48-64年,タン・マラカが創設したムルバ党の中央執行委員をつとめ,56年国会議員に選出。その後ソ連・ポーランド大使などを経て66年外相に就任し,インドネシアの国連復帰を実現した。78年から83年まで共和国副大統領。邦訳著作に自伝《共和国に仕える》がある。
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20世紀西洋人名事典 「アダムマリク」の解説

アダム・マリク
Adam Malik


1917 - 1984
インドネシアの政治家。
元・インドネシア外相,元・インドネシア副大統領。
北スマトラ生まれ。
1934年インドネシア党入党で独立運動に身を投じ、’37年アンタラ通信創設、社長。’45年8月武装蜂起による独立を唱えスカルノと対立。’46年人民党結成。’48年民族共産主義ムルバ党に入党。’59〜62年駐ソ大使、’63年貿易相に入閣したがスカルノとの不和は続いた。9・30事件の二年後の’67年スハルト新体制下で11年間外相を務める。’77年国民協議会議長を経て、’78年副大統領。’83年辞任。この間’67年ASEAN設立に貢献、現実主義的外交を展開する。著書に「共和国に仕える」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「アダムマリク」の意味・わかりやすい解説

アダム・マリク

インドネシアの政治家。北スマトラ生れ。ジャーナリストとして活動後,独立運動に参加,1945年8月17日の独立の宣言に寄与した。1948年−1964年,民族主義政党のムルバ党中央執行委員,1956年国会議員。1966年外相,1978年共和国副大統領。

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