アブー・ウバイダ(英語表記)Abū `Ubayda al-Jarrāh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アブー・ウバイダ」の意味・わかりやすい解説

アブー・ウバイダ
Abū `Ubayda al-Jarrāh

[生]583. メッカ
[没]641. シリア
初期イスラム教団の有力指導者。メッカのクライシ族の出身。初期の改宗者の一人で,アビシニア (エチオピア) 移住団の指導者の一人でもある。ムハンマドに従って多くの戦功をあげ,またしばしば遠征軍の指揮官をつとめた。ムハンマドの死後アブー・バクルカリフに推してイスラム社会の統一を保つためにウマル (→ウマル1世 ) とともに重要な役割を果した。第2代カリフ,ウマルの時代にシリア征服の最高指揮官となって,北部シリアの諸都市を征服し,統治機構の整備に努めた。シリアに悪疫が流行したとき,カリフはアブー・ウバイダの身を案じてメジナに帰還するようにすすめたが,彼はシリアにとどまり,58歳で子孫を残すことなく病死した。

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改訂新版 世界大百科事典 「アブー・ウバイダ」の意味・わかりやすい解説

アブー・ウバイダ
Abū `Ubayda
生没年:728-825

アラブの文学家,言語・文献学者。イラン系ユダヤ人の血を引き,バスラに生まれた。のちバグダードに出て,アッバース朝カリフ,ハールーン・アッラシード面前アスマイーと各種の文学論争を行った。コーランアラビア語,アラブ戦史などにつき105種の書物を著したが,《ジャリールとファラズダク論争詩解説》しか残っていない。シュウービーヤ主義者でアラブをけなし,またハワーリジュ派思想持主であった。
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