日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハワーリジュ派」の意味・わかりやすい解説
ハワーリジュ派
はわーりじゅは
Khawārij
イスラム教の最初の政治・宗教的分派。ハーリジーKhārijī派ともいう。第4代正統カリフのアリーとのちにウマイヤ朝を創設することになるムアーウィヤとが657年にスィッフィーンで戦った際に、ムアーウィヤ側からコーランによる調停の申し入れがあり、アリー側の兵の大半はそれを承諾したが、一部の者は、それは神のことばの上に人間の審判を置くことであるとして反対し、その場を去った。このアリーの陣営を「離脱した者たち(ハワーリジュ)」はその調停の不満足な結果からさらに増加した。ここにこの派は起源をもつとされ、ウマイヤ朝期(661~750)を通じてしばしば反政府的反乱を引き起こした。教義の面では、道徳的に欠点がなくカリフとして働く能力があれば、いかなる信者もその血統・身分に関係なくカリフに選ばれうるとし、また行為を伴わない信仰は無意味であり、重罪を犯した者は背教者として殺害されるべきであるとするなど、道徳的厳格さを極端にまで主張し、この派に属さないイスラム教徒を不信仰者とみなした。ハワーリジュ派は種々の傾向をもついくつかの支派からなり、そのなかの穏健な一派は現在までアラビア半島のオマーンに存続している。
[鎌田 繁]