《Defence Line of Amsterdam》アムステルダムを取り囲む防衛施設。市街を取り囲む半径15~20キロメートルの環状の堤防を築き(総延長約135キロメートル)、そこに45の要塞を築いたもの。1920年完成。有事には水門を開き、堤防の外側3~10キロメートル幅にわたって深さ1メートル近くまで浸水させ、敵を防ぐ仕組みとなっていた。1996年、世界遺産(文化遺産)に登録された。
1996年に登録された世界遺産(文化遺産)。オランダの首都アムステルダムの市街中心部から半径15~20kmを取り囲む全長135kmに達する堤防で、45の要塞(砦)が配置されている。洪水を防ぎ、かつ敵の侵入を食い止める防衛ラインとして1883年から1920年にかけて建設された。オランダの正式呼称ネーデルラント(Nederland)は「低地の国」あるいは「低地地方」という意味の言葉に由来し、堤防、水門、運河などにより構成されたシステムで水害から国土を守ってきた。その一方で、オランダ人は堤防、水門、運河などを国の防衛に使用する知恵を絞ってきた。このアムステルダムの防塞線はその典型で、さまざまな工夫がなされている。たとえば、この堤防は戦時には防衛のために堤防の外側3~10kmが容易に冠水するような仕掛けが施され、しかも敵が船を利用できないよう水深は0.5~1m程度に設計されていた。要塞の多くは現在、アムステルダム市議会が管理しており観光が可能。史跡記念日(毎年9月の第2土曜日)は入場無料になる。◇英名はDefence Line of Amsterdam